번역대기/요우리코 요일 시리즈

Sorry Honey, It's Thursday!

익명에이전트 2020. 9. 3. 16:54

 

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10207582

 

仕事人間・桜内とその部下・曜ちゃん(TGIF!:novel/8987132)の小話二つ。
①上司との恋人としての温度差に悩む曜ちゃんの話
②恋人になった部下を下の名前で呼べない桜内さんの話

 

 

 

 

◆ Sorry Honey, It's Thursday!

 

 

 


梨子さんと付き合うようになって三カ月。
二人の間で目に見えて変わったことがある。
それは土日も一緒にご飯を食べるようになったこととか、
梨子さんの部屋の洗面台に並ぶ歯ブラシが二本になったこととか、
朝目覚めたときに一番に目に入るのがうちっちーのクッションじゃなくて梨子さんの寝顔になったこととか。
そんな嬉しい変化がある一方、私にとってはあまりハッピーではないものもちらほらと見え始めてきてしまったわけで。

「桜内さん、よかったら今度飲みに行きませんか?」

まただ。本日三人目。
声の主を確認しながらジトリと視線を飛ばす。あれは確か営業のエリアマネージャーだっけ。仕事は早いけど女性への手も早いと有名だ。そんな輩が梨子さんとお酒を飲み交わそうだなんて言語道断、百億年早い!
毛を逆立て、爪と牙を剥き出しにして戦闘態勢に入るものの、私たちが付き合ってることは誰にも教えていない秘密の花園なので、ここで「ちょっと待ったぁ!」と出ていくわけにもいかない。こんな場面に遭遇しても、私は毎度仏頂面で指をくわえて眺める他ないのだ。

梨子さんはオフィスでよく笑うようになった。
前はずっと眉間に皺を寄せながらパソコンを睨んでばかりで、好意のあった私でもちょっと近寄りがたい存在だったんだけど、最近は他の人と談笑することが増え、纏う雰囲気がどことなく柔らかくなった気がする。
それはとても喜ばしいことだし、職場でも梨子さんの笑顔を見れるのは嬉しいんだけど、そんな梨子さんの鋼のバリアがなくなってからというもの、美人な彼女とお近づきになりたいという不埒な連中が急に梨子さんに声をかけるようになったのだ。平均して日に四、五人。多いときは二桁に突入しそうな勢いの日もある。毎日毎日、代わる代わる、あの手この手で。
梨子さんも基本的には面倒くさがってはいるけど、でもちょっと楽しそうなときもあったりして。私はそれがちょっぴり、いや、かなり面白くない。
付き合ってることを隠しているとはいえ、恋人が他の人から誘われてる現場を日に何度も目の当たりにするのは流石の私でも勘弁願いたいところだ。
せっかく職場でも一緒にいられるのに、「一人だけ特別扱いできないから」とあんまり喋ってくれないし、それに対して文句を言ったら「オフィスで“梨子さん”って呼んだら異動させるわよ」と本気のトーンで睨まれるし。
オフィスラブってもっとドキドキキュンキュンするものなんじゃないの!?
毎日うっかり口を滑らさないようにするのにハラハラドキドキしてるけど、別にそういうドキドキを望んでいるわけじゃない。
新人の頃から数えて早数年。やっとのことで想いを告げて憧れの人と付き合えることになったのに、待っていたのはなかなかシビアな現実だった。

大きな溜息をつきながら恋人に言い寄る男性社員を睨み付ける。
私の想いを知ってか知らずか、梨子さんは「暇ができたらね」なんてさらっと受け流していたけど、誘ってる側は「今週の金曜日とかどうですか!」となかなか引き下がらない。
金曜日は、私とお家で飲むの!
約束はしてないけど、それが二人のお決まりみたいなものだった。

「今週は予定があるから」

家での晩酌を「予定」と言ってくれたことが嬉しくて、自然と緩む頬。残念がる相手は「じゃあまた誘うんで!」と諦めの悪い様子で退散していった。
もう誘わなくていい。
心の中でシッシッ!と追い払いつつ、その後ろ姿に缶コーヒーを開ける前にプルタブが取れてしまう地味な呪いをかけておいた。





待ちに待った金曜日。ルンルン気分で朝ご飯の準備をしていた私に非常に残念なお知らせが舞い込んできた。

「あ、今日は上の人たちと飲み会だから遅くなる」
「え!? 聞いてないよ!?」
事もなげに告げられた梨子さんの言葉に危うく手に持っていたお茶碗をひっくり返しそうになる。
「そうだっけ? でも、そんな驚くことでもないでしょ。よくあるお付き合いよ」
「えー、金曜だから梨子さんと晩酌できると思ってたのに」
「土曜でもいいでしょ。どうせ毎日会えるんだから」
「そうだけど……」

私は金曜日に梨子さんと飲むのが好きなんだけどなぁ。
一週間の仕事終わりに飲むアルコールは格別に美味しい。当社比三倍ぐらい美味しい。それが大好きな人と一緒にとなると、もう何倍だか分かんないくらいに美味しくなる。
だから金曜のあの時間だけは、誰にも邪魔されずにお酒と梨子さんのかわいさに酔いしれたいのに。
リーダー職についてる手前、なかなか飲み会を断ることもできないらしく、彼女は金曜不在ということも多い。私は金曜日の夜は他の予定を入れないようにスーパーブロックしてるというのに。
こんなとき、梨子さんって私のこと好きなのかなとか、少し面倒な気持ちがひょっこり顔を出してくるのでぶんぶんと頭を振っては追い払っているのだけど、やっぱり片想いの期間が長い分、私の方が好きって気持ちは大きいんだろうなと思うことがよくある。
いつかそれが同じくらいになってくれるといいなぁ。
いつになるかも分からない希望を胸に、お味噌汁をお椀に注いだ。





只今の時刻は午後二十三時四十分。テレビでやっていたジブリ映画を観終わり、明日の朝ご飯はベーコンエッグトーストにでもしようかなと考えていた頃、玄関の方からガチャリと鍵の開く音がした。

「ただいまー」
聞こえた愛しい人の声に、バタバタと駆けるように玄関へとお出迎えに行く。
「おかえり!」
靴を脱ぐ彼女に飛びつくと、むむっ?と変な違和感。鼻をクンクンさせると明らかに彼女のものではない匂いがぷんぷんしている。
「梨子さんタバコくさい!」
抱きついた彼女の衣服からする臭いに思わず顔を背けた。いつもの柔軟剤のいい香りはどこへ行っちゃったの。
「仕方ないでしょ、部長も課長もタバコ吸うんだから」
「もー、こんなのいつもの梨子さんじゃない!」
あまりのヤニ臭さに耐え切れず、ファブリーズをひたすら梨子さんに連射したら頭にビシッとチョップをくらった。結構痛い。

「お風呂入るから先に寝てていいわよ」
「上がるまで待ってる」

せっかく梨子さんに会いたくて会いたくて震えながら待っていたのだ。ここで寝るなんて選択肢は最初から私の頭の中にはない。
意地になる私を見て彼女は「別にいいのに」と笑ってお風呂場へ消えていった。

そして忠犬のように待つこと四十分。テレビをぼーっと眺めていたら、お風呂上がりの彼女がリビングに顔を出した。
さぁ、ようやく梨子さんを独り占めできると思った矢先、

「まだ起きてる? 私、明日用事あるから寝るわね」
「え!?」

予想もしていなかった展開に思わず声が裏返る。
いや、ちょっと、私は一体何のために起きてたの?!
絶句する私を置いて、彼女は早々に寝室へと行ってしまった。

嘘でしょ、梨子さん。
金曜の夜だよ? 明日はお休みだよ? 恋人たちのためのスーパースイートタイムなんだよ?
なんでそんなあっさり寝るとか言うの!?

浅漬けよりもあっさりとした彼女の塩対応に私の心は萎えまくりだ。浸透圧で水分全部持っていかれたであります。
じゃあせめて寝るまでの間だけでも、とその背中を追いかけると、彼女はすでに夢の中へと旅立っていて、私はそんな彼女の隣で一人舞い上がった気持ちをぶつける先を探すのであった。





「はぁ……」

オフィスにある自販機の前で盛大な溜息を吐き出す。百円の缶コーヒーを片手に一人反省会を開催中だ。
結局週末は二人の予定が合わず晩酌は流れ、お家でイチャイチャする暇もなく、梨子さんパワーを補充できないまま月曜を迎えてしまった。なんたる失態。

「大きな溜息ね。幸せが逃げるわよ」
「あ、善子さん」

声のした方を見ると呆れ顔の善子さんが立っていた。
自称「不幸の堕天使」の善子さんは梨子さんの同期で、梨子さんが気を許している数少ない友人の一人らしい。たまに梨子さん家で一緒に飲むことがあるので私も仲良くしてもらっている。

「珍しいわね、いつも馬鹿みたいに元気なのに」
「私だって悩むことくらいありますよ」

確かに頭がいい方ではないけど、私だって年がら年中陽気に過ごしてるわけじゃない。
仕事の悩みだって、恋の悩みだって、人並みには持ち合わせている。

「だってこの間飲んだとき、『幸せすぎて毎日夢じゃないか確認してるんです』とかふざけたこと言ってたじゃない。爆ぜろ、このリア充っ!」
「バーンッ、って爆ぜないですけど! 幸せだからって悩みがないわけじゃないんです」

大袈裟に腕を伸ばして爆発した風を装ってみる。せっかく乗ってあげたのに善子さんからは些か冷ややかな視線を浴びた。

「へぇ、リア充の悩みなんて興味深いわね。そうだ、木曜暇ならご飯行かない? 私がカウンセリングしてあげるわ」

二人のトップシークレットも善子さんにだけは明かしているので、丁度いいと思ってそのお誘いに「行きます!」と即答し、「また連絡する」と言う善子さんと別れてデスクに戻った。
話を聞いてもらえると分かっただけで気持ちが少し軽くなった気がして、ちょっぴりご機嫌にキーボードを叩いていたら、斜め前の席の梨子さんが怪訝そうな顔でこちらを見てきた。
大丈夫です、暖かくなってきたけど頭がおかしくなった訳ではありません。そんなに冷たい視線を浴びせないでください。
奇異なものでも見るような目で私を見つめる彼女に『木曜は夕飯は外で食べます』とこっそりメッセージを送った。





「この馬肉のお寿司めちゃくちゃおいしい!善子さん、まさに寿司界の菊花賞ですよ!」
「なによその喩えは」

善子さんと入ったお店はお肉と日本酒をメインにした創作居酒屋。メニューに並ぶ肉料理に空っぽの胃袋は色めき立ち、カウンター席の前にずらりと並ぶ日本酒の空き瓶を見て取り扱っている種類の多さに驚く。
乾杯をして早々に善子さんは割り箸を割るのを見事に失敗していて、申し訳なさそうに店員さんに替えをもらっていた。むしろどうやったらそんな風に割れるのか教えてほしい。

「相変わらずですね」
「うっさい」

自分のことを不幸体質だと嘆く彼女は、行く先々で小さな不幸に見舞われている。この間は喉が渇いて自販機でお茶のボタンを押したらカロリーメイトの箱が落ちてきたらしい。「余計に喉渇くわっ!」って怒ってたけど彼女らしいエピソードについ笑ってしまった。

「すみませーん、No.6お願いします」
「善子さん、さっきからそればっかりですね。そんなに美味しいんですか?」

日本酒の品揃えが豊富なその店で、善子さんは同じ銘柄を三回も頼んでいた。これだけあるんだから別のやつを頼めばいいのにと少しお節介なことを思う。

「クックック。6が三つ。666。かのヨハネの黙示録に記述されたという獣の数字、」
「あ、私はこのモンスーンってやつください」
「ちょっと聞きなさいよっ!」

この辺りはいつものお約束。聞き流さないと新約聖書の小難しい話が始まって寝落ち待ったなしなので、善子さんには申し訳ないけどいつもスルーさせてもらっている。

「今日は私の話を聞いてくれる約束ですよー」
「分かってるわよ。ほら、天下無敵のリア充様は一体何を悩んでるのかこのヨハネ様に言ってごらんなさい」

たまによく分からないことを口走るこの先輩は、スイッチが切り替わると至極真面目に話を聞いてくれる。だからこそこうしてサシ飲みにも行くわけなんだけど。
お洒落なグラスに注がれた日本酒で口を潤してから本日の本題に突入した。

「梨子さんって本当に私のこと好きなのかなぁって思うときがあるんですよね」
「はーい、ノロケ確定。真面目に相談に乗ろうとした私がバカだったわ。解散!」
「違いますって! そんな甘い話じゃないんですよぉ」

早々に話を打ち切ろうとする善子さんの腕を掴んで引き止める。
私からしてみれば甘いどころかノンシュガーの苦い話だ。耳を塞ごうとする彼女に、少しでも惚気だと感じたら今日は奢ると約束し、ここ最近のつれない恋人の話を聞いてもらった。

「ふーん……私からしたらリリーが人と同棲してるってだけでクララが立ったくらいの感動モノだけどね」

話を聞き終えた善子さんは開口一番そう言った。
梨子さんが必殺仕事人と呼ばれるほど鋭い眼光で仕事を「捌く」ようになったのは、憧れていた先輩兼恋人から別れを告げられてからだと言う。当時を知る善子さん曰く、あの頃の梨子さんは一日中無表情で機械のように働いていて、今のようにオフィスで笑うなんてことはなかったらしい。

「ご飯に誘っても食欲ないって断るし、いつも顔色悪いし、いつ倒れるかハラハラしてたんだから。そんなリリーを変えたのは貴女でしょ。それくらい本人だって分かってるわよ」

確かに、あれほど職場で恐れられていた彼女が今ではすっかり周囲に馴染み、男性社員の間で高嶺の花子さん扱いになったのは私と付き合うようになってからだ。でもだからと言って彼女が私のことを好きであるかどうかはまた別問題なわけで。自分の中では「付き合ってもらってる」感がどうにも拭えない。

「うーん、でも、…」
「あぁ、もうっ! そんなに言うならちょっと顔貸しなさい」
「え?」
そう言うなり彼女は私の肩を抱き寄せ、携帯のカメラを起動させた。
「ほら、撮るわよ。はい、堕天」
謎の掛け声とともにカシャと音が鳴り、携帯の画面が数秒前の私たちを映し出す。
「はい、このかわいい私たちのツーショットを、こうします」
そう言いながら彼女は携帯を二、三回タップし、その写真を梨子さんに送りつけていた。
今日は外で食べるって言ってあるし、善子さんとだから問題はないはず。
善子さんの携帯を覗くと送った写真の下に『リリーのリトルデーモン借りてるわよ』とメッセージが添えられている。

「ふふ、帰ったら面白いものが見れるわよ」

意味深な笑いを浮かべて、善子さんは本日三杯目のNo.6を飲み干した。
彼女の言ってる意味は分からなかったけど、結局私の悩み相談はそこで打ち切られてしまい、不完全燃焼のまま店を後にした。





エレベーターが目的の階で止まり、電灯で照らされた廊下を抜けて一番端にある部屋を目指す。キーケースに二つ付けている鍵のうち自分の部屋のものではない方を取り出し、ドアの鍵を回した。

「ただいまであります!」

自分の家ではないのに「ただいま」を言うことの違和感は、半同棲を始めて一カ月ぐらいでなくなった。一人暮らしのときは帰って玄関を開けても真っ暗で、冬は冷たい空気が身に沁みたし、夏はむわっとした空気が充満していて、家に帰ることに喜びなんて感じなかったのだけど、今は「おかえり」を言ってくれる相手が待っていると思うだけでこんなにも心が弾んでいる。

お店を出たときに『これから帰るね』と連絡していたので、すぐに反応があるかと思っていたら家の中からは物音一つ聞こえてこない。リビングのドアのすりガラスから明かりが漏れているので帰ってはいるはずだ。
寝てしまったのかと思い、そろーっとリビングへ入ると、梨子さんはソファに座ってテレビを観ていた。
聞こえなかったのかなと、その背中にもう一度声をかける。

「梨子さん、帰りましたよー」
「……おかえり」

え、なんかめちゃくちゃテンション低い?
彼女は私の方をチラリと見ただけでまたテレビに向き直る。醸し出しているのは明らかに機嫌が悪いときのオーラだ。

「り、梨子さん?」
「なに」
「なんか怒ってる……?」
「別に」

うわぁ、すっごい怒ってるじゃん。
どこぞの女優の真似なんてしなくていいから、心の中で振り上げている拳はどうかそっと下ろしてほしい。

「あ、今日行ったお店ね、料理もお酒も美味しかったから今度梨子さんも行こうよ!」
「……」

機嫌を直してほしくてかけた言葉は華麗に無視され、テレビから聞こえる笑い声だけが部屋に虚しく響いた。
どうしたらいいの、この雰囲気。雪の女王から繰り出される凍てつく波動がお酒で温まった体を急速に冷やしていく。
え、なに、レリゴー二代目でも狙ってるんですか。少しも寒くないわ、って? 私、凍えそうですけど。

「……楽しかった? よっちゃんとのご飯」
「え、あ、…はい。楽しかった…です」

その威圧感のある声に自然と敬語になってしまった。彼女は「ふーん」とつまらなさそうに携帯を操作している。
やばい、やばい、どうしよう。
怒りの原因が分からないので対処の仕様がない。また部長に面倒な仕事でも押し付けられたのかな。でも、そういうときは大体お酒飲んで愚痴れば治まってるし、こんな静かに怒りを表すことなんてない。
てことは、私が原因?
何した、何した、今日の自分。
回らない頭の中をぐるぐると探すけど、思い当たる節が全く見つからない。

「もう寝る」

しばらくフリーズしていると、彼女がテレビを消して立ち上がった。このままだと今日も彼女の背中を見ながら一人寂しく寝ることになってしまう。それはなんとしてでも阻止したい。

「ちょっと待って」
「なによ」
咄嗟に手を伸ばし彼女の腕を捕まえると、いつも以上に釣り上がった目で睨まれた。
「なんでそんな怒ってるの」
「だから怒ってないってば」
彼女は苛立ちを隠さずに私の手を振り払おうとするので、離さないように強く握り直す。
「怒ってる、…じゃん!」
「怒って、ない、っ…!」
ぐぐぐ、と互いに握った腕に力が入る。
あの仕事のできる梨子さんが家ではこんな低レベルな言い合いをしてるなんて知れたら職場の人はどう思うんだろう。
内心でほんの少し苦笑しながら、私の手から逃れようとする彼女を落ち着けようとソファにもう一度座らせる。そして、

「ちょっと、重いんだけど」

ジトリと視線が飛んでくるけどそんなことは気にしない。恋する乙女に向かって重いだなんて! って言葉も今日のところは呑み込んでしまおう。
彼女の膝を跨いで向かい合わせに座った私は、彼女の両側に手をついた。壁ドンならぬソファドンだ。

「理由教えてくれるまでどかないからね」
「……もう、勝手にすれば」

呆れた様子で彼女はぷいとそっぽを向いた。
教えてくれないなら強行突破だ。
今日は木曜日。明日も仕事だからそのうち諦めるだろうと踏んで、我慢比べを挑む。我ながらめんどくさいことしてるなと思いつつ、お酒が入っているので止める理性も働かない。
さてさてこれからどうしたものかと考えていると、彼女の手に握られている携帯が不意に目に入る。画面に表示されているのは、さっき善子さんが送っていた写真。どうやら先ほどから眉間にシワを寄せて眺めていたのはそれだったらしい。

『帰ったら面白いものが見れるわよ』

ふと、善子さんの言葉を思い出す。

私が帰ってからの機嫌の悪さ。
不機嫌の原因はおそらく私。
携帯に表示されたツーショット。

善子さんに言われたときは何のことかさっぱりだったけど、え、ひょっとして、ひょっとする?

「ねぇ、梨子さん」
「なに」
「……寂しかった?」
「はぁっ!? そんなわけ、」
顔を背けていた彼女が勢いよくこちらを向いたので、ここぞとばかりに顔を近づけてその視線を捕まえる。
「寂しくなかった?」
「……寂しくない、ことはない、けど」

素面のはずなのに顔を赤くする彼女を見て、自然と口角が上がる。

あぁ、そっか、この人は。
びっくりするくらい素直じゃないんだ。

それに気付くと今までの悩みが嘘のように弾けて、目の前の恋人が今まで以上に愛しく思えた。

「なにニヤニヤしてるのよ」
「へへ、だって、嬉しくって」

だって、ねぇ。あの梨子さんが。ドライでクールで仕事の鬼な私の恋人が。私が居なくて「寂しい」とか言っちゃうんだから、顔の筋肉なんて全部緩んじゃうよ。
あぁ、今はそのジト目だってご褒美です。
「だらしのない顔」と頬をつねられたけど、その痛みすら幸せに変わる。緩んだままの顔で彼女をぎゅっと抱き寄せた。

「梨子さん、私ね、ちょっとだけ不安だったんだ。本当に梨子さんは私のこと好きなのかなって」

私の一方的な憧れだった。想いが繋がるなんて思ってもなかった。付き合えることになったときは夢だと思った。それくらい私の中では近くにいるのに遠い人だった。
だからね、浮かれているのは私だけなんじゃないかって、梨子さんは私のことなんてなんとも思ってないんじゃないかって、そんなことを考えたりしちゃったんだよ。

「ばかね。あなたが思うよりずっと、私はあなたがいなきゃダメなのに」

顔を私の胸に埋めたまま、彼女が呟く。
ずっと欲しかった言葉がそこにあった。
ねぇ、その言葉は梨子さんの本心だと思っていいよね?
素直じゃないあなたの本当の気持ちなんだよね?

「梨子さん……」

顔を上げた彼女にゆっくりと唇を寄せる。
トクン、トクン。久しぶりの甘い時間に心臓だって躍っている。
二人の影が重なるまであと数センチ。
このまま全速前進、と勢いづいたところで唇にトンと軽い衝撃を受けた。眉をひそめて視線を落とせば、彼女の人差し指が行く手を阻んでいるではありませんか。

「明日も仕事だからだーめ」
「えぇっ?!」
「ほら、お風呂まだでしょ。私、朝イチで会議だから先に寝るわね」

いやいやいやいや、ここはそのまま朝までがお約束だよね?!
絶望する私の視線なんて気にもとめず、真面目な上司は膝に乗る私を横にどかして寝室へと消えて行った。
なんてこった。せっかくいい雰囲気だったのに、寸前でお預けを食らったこの気持ちは一体どこにぶつければいいんだろう。

もぉぉぉっ、なんで今日は木曜なのっ!

お休み前なら甘ったるい時間を二人で過ごせたはずなのに、と憎き木曜に恨みの念を飛ばす。
「うあー、悲しきかな社会人」
きっと学生の頃だったら後先考えずに楽しんで、次の日はほんのちょっぴり反省しながら自主休講とかにしてたんだろうけど。お給料をもらって働いている身なのでそんな無茶は到底できない。
落胆しながらとぼとぼとお風呂場に向かっていると、背後からパタパタと足音がして、背中にぎゅっと人の温度。慌てて振り返ると生暖かい何かが唇を掠めた。
鼻先で香るローズの匂いは、梨子さんが気に入ってるシャンプーの香りだ。目の前では頬を染めた蜂蜜色の瞳がこちらを睨んでいる。

「残念なのは、私もだからね」

そう言うと彼女はすぐに踵を返して再び寝室に駆け込んでいった。
パタン、とドアが閉められ、廊下に一人残される私。
久しぶりに感じた柔らかさと甘い響きに脳天からノックアウトされ、へにゃへにゃとその場にしゃがみ込む。

「ほんっと、もう、あの人はっ……!」

お風呂に入ったら滝行のように冷水を頭から浴びよう。
そうでもしないと最高に昂ったこの気持ちを抑えられそうにないから。

今晩も彼女とのとろけるような甘い時間はお預けだけど、代わりに私は一つ決心をした。

ねぇ、梨子さん。
明日の夜は覚悟しておいてよね。



【Sorry Honey, It’s Thursday!】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ Yes Honey, It's Thursday!

 

 

 

 

「梨子さんって私の名前知ってますか?」

ソファの上に正座をして大真面目な顔で何を訊いてくるかと思えば、私の部下は直属の上司に向かってそんな愚問を向けてくる。

「渡辺曜でしょ。知ってるわよ」

当然でしょ、と答えながら意識を爪のお手入れに戻す。形が良く見えるように、やすりで縁を綺麗に磨いていく。

「じゃあ、私のこと何て呼んでます?」
「渡辺さん」

これも即答。部下なのだから当然だ。これ以外に適切な呼び名なんてない。

「会社ではそうですね。じゃあ、お家では?」
「……ワンコ」

少し悩んでそう答えた。これも間違いではない。
彼女は犬みたいな性格をしている。
誰にでもすぐに懐くし、耳と尻尾があるのかと錯覚するほど喜怒哀楽が分かりやすいし、忠誠心旺盛だし、おまけに寂しがり屋だし。いつか会社で「渡辺さんって桜内さん家のワンコみたいですよね」と言われて以降、私の中での彼女のイメージは忠犬ハチ公だった。

「梨子さん、私たち付き合って何カ月でしたっけ」
「……四カ月くらい」
「正確には四カ月と二十日です。ほぼ五カ月ですよ? それなのに、嗚呼、それなのに! なんでいつまで経っても名前で呼んでくれないんですか?!」
「なんでって……別に理由なんてないわよ。ワンコで通じるんだからいいでしょ」

何の話をしているのかと思えば、そういうことかと納得する。
確かに付き合い始めてからも彼女のことを下の名前で呼んだことはない。
だって、この間まで「さん」付けで呼んでいた部下を急に下の名前で呼べる?
呼び捨てはしづらいし、ちゃん付けもこの歳になると厳しいものがある。
切り替えるタイミングを見失ってからは「ワンコ」とか「ねぇ」とかそんな感じで呼んでいた。だいたい「渡辺さん」以外で呼ぶことなんて二人きりのタイミング以外ないのだから、呼べば自分が呼ばれているんだって分かるでしょ。
私の訴えが不服なのか、彼女は頬を膨らませるようにしてこっちを見てくる。

「恋人なんだから下の名前で呼んでくださいよ!」
「私がなんて呼ぼうと勝手でしょ!」
「もうっ、名前で呼んでくれないなら私も桜内さんって呼びますからね!」
「好きにすれば!」

これが三日前の就寝前の出来事。我ながら低レベルな言い争いに頭が痛くなる。
彼女は宣言した通り、この三日間は家でも私のことを「桜内さん」と呼び続けている。それで別に支障はないのだけど、家に居る時も会社に居るような気分になるのでちょっと居心地は悪い。

「桜内さん、お醤油取ってください」
「はい」
「ありがとうございます」

桜内さん呼びになってからというもの、ずっとこの調子で、食卓での会話も心なし減ったと言うか、ビジネスライクになっている気がしてならない。いや、ビジネスでお醤油は使わないけども。
事務的になってしまった会話は、なんだか心の間に一線を引かれてしまったようで、少しだけ彼女を遠く感じた。





会社の女子トイレにはあまりいい思い出がない。そもそも女子トイレに思い出なんてないのが普通なのだけど、どうも会社では悪目立ちしているらしく、自分に関する聞きたくもない話をよく耳にする。今日もそうだった。

「最近さぁ、桜内さん変わったよね」

個室に入った後、聞こえてきた声。大方、自分の後に化粧直しのために入ってきた同僚の声だろう。
だから個室が埋まっているときは(略)。相変わらず危機管理ができていなくて嫌になる。

「あー、あれは絶対オトコでしょ」
「やっぱ? あんな変わるもんなんだねー。普通に笑ってるの見てびっくりだわ」

オトコじゃなくてワンコだし(そこじゃない)、私だって普通に笑うわよ。人間だもの。
一方的な決めつけに心の中でツッコミを入れつつ、早く出て行ってくれないかなぁと狭い個室の中で時が過ぎるのを待った。

「あの鉄仮面をあそこまでにするんだから相当だよね。家だと意外にデレまくってたりして」
「えー、想像したら超ウケる」

ウケないし、デレないし。そろそろ出たいんだけど、と思っていたところで「相手、部長だったりしてー」なんて絶対にありえない推測とキャハハというさして面白くもなさそうな笑い声だけ残して人気は遠ざかった。

「何もしてないのに疲れた……」

ようやく個室から解放され、手を洗いながら鏡を覗き込むと、げんなりとはしつつもどこか以前よりも血色のいい顔が映った。
傍から見ても「変わった」と言われるほど最近の私は調子がいいらしい。それはきっと彼女の作るバランスの取れたご飯だったり、随分とご無沙汰だった恋人との営みだったり、色々と理由はあるのだろうけど。その全てが、私を見つける度に「梨子さんっ!」と目を輝かせて尻尾を振る彼女のおかげであることは間違いなかった。

「名前で呼んで、かぁ……」

彼女からは両手では持ちきれないほどたくさんのことをもらった。ならば自分も少しは彼女のために何かしてあげるべきなんじゃないかと、鏡に映るその姿に問いかけた。





しょうもない口喧嘩をしてから五日目。相変わらず彼女は私を家でも「桜内さん」と呼び、私も「渡辺さん」呼びから抜け出せずにいた。気持ちが傾きこそすれ、長年の呼び方をそうすぐには変えられないのが現実だ。
昨日に至っては仕事で遅くなるから自分の部屋で寝ると彼女が言い出し、久しぶりに別々のベッドで朝を迎えた。同棲するようになって買い替えたクイーンサイズのベッドは一人には広すぎて、ベッドの端で掛け布団を抱きしめるように寝てしまったのは、私に「寂しさ」を教えた彼女のせいに他ならない。

「もう、なんでいないのよ……」

目が覚めて、いつもより静かな朝に、ベッドの中で独り言ちる。咳をしても一人。愚痴をこぼしても一人、だ。
「寂しい」だとか、「会いたい」だとか、若くてかわいい子が囁くような甘いセリフなんて私は絶対に言わないけど。それでも、いつもそこにあった温もりがほんの一瞬傍にいないだけで、こんなにも心にぽっかりと穴が開いたような気持ちになるのだから、もう随分と彼女なしではダメな身体になっているんだと改めて痛感する。
一人で食べる朝ごはんは味気がなくて、もそもそと咀嚼したトーストをコーヒーで流し込んで家を出た。



「次の会議室どこだっけ?」
「えーっと、405号室ですね」

朝から立て続けの会議で、会議室から次の会議室へとハシゴするため彼女と二人で廊下を急いでいると、前から歩いてきた男性社員が彼女に「よっ」と手を挙げて声をかけてきた。

「この間はどうもね」
「こちらこそありがとうございました」
「また飲み会企画するから誘っていいかな? この間はあんまり曜ちゃんと話せなかったし」
「はい、ぜひぜひ~。ご連絡お待ちしてます!」
ビシッと敬礼で答える彼女はノリノリで、その姿にほんの少し不満が募る。
「誰、あれ」
過ぎ去った後ろ姿をチラリと横目に見ながら彼女と廊下を進む。
「営業の先輩です。大学が同じで、同門会みたいなの企画してくれたんですよ。この会社、うちの大学のOB・OG多いみたいで」
「ふーん……」

自分で訊いておきながら素っ気ない返事をしてしまう。相手の「曜ちゃん」呼びも、彼女のへらへらした笑顔も、なんだか癇に障ってしまって上手い返しが出てこない。いつも無愛想だから変わりがないと言えばそうだけど。
みんなに人気のあなただったら、私なんかよりいい人がたくさんいるでしょ?
本当は私じゃなくてもいいんでしょ?
そんなつまらない考えばかりが頭の中をぐるぐると巡る。
仕事だったら大抵のことは自信を持って判断できるのに、彼女のこととなると途端に自信がなくなってしまうのはどうしてなのか。

「よかったわね、名前で呼んでもらえて」

口を開けばそんな皮肉しか出てこない。
あぁ、なんてかわいくないのかしら。
何か言いたげな彼女から距離をとって、次の会議室へと足早に向かった。


午後まで続いた会議が終わり、メールを捌いている間に終業時間が迫っていた。今日中に確認を終えなければならない資料がまだ二つ残っているので、今日もいつも通り残業確定だ。
斜め向かいの席の彼女にちらりと視線をやると、うーんと唸りながらパソコンを凝視していた。少し悩んでキーボードをカタカタと短く鳴らす。

『今日はどうするの?』

おそらく恋愛上級者なら「今日は来てくれないの?」とかもっと上手に誘うのだろうけど、残念ながら恋愛偏差値が低空飛行している私にはこれが限界だ。
いつもなら秒で返ってくる返事は、今日は待てど暮らせどその気配がない。画面を見ていれば嫌でもメッセージが視界に入るはずなのに。いい加減愛想を尽かされてしまったのだろうかと気が気でない。目の前にいるのに月よりも遠く感じるこの距離感がもどかしくて、チラチラと彼女の方ばかり気にしてしまい、メールを打つ手が止まる。
仕事に集中しようと、返信しそびれていたメールに「平素よりお世話になっております。」と定型文を打ち込んだところでチャットアプリのアイコンがチカチカと点滅した。

『昨日よりは早く帰れると思うので、ご飯作って待ってますね』

その一言に脱力しながらほっと胸を撫で下ろす。
当たり前だったことが一時でも欠けてしまうだけでこんなにも不安になってしまう。以前の私ならそんなことお構いなしに生きていたのに。
ただ一人に執着する自分を喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。
変わってしまった自分に戸惑いながら『了解』と素っ気ない返事をして仕事モードに戻った。



残務を片付けて家に帰ると、言った通り、先に退社していた彼女が晩ご飯の準備をして待ってくれていた。
「どうせ昨日晩ご飯食べてないんでしょ?」
そういうことするからすぐに痩せちゃうんですよ、といつものように軽口を叩くから、あぁ、よかった、いつも通りだ、なんて変な安心感を覚える。
彼女の作ってくれた野菜たっぷりのシチューは相変わらず美味しくて、寂しかった心の隙間をみるみるうちに埋めていった。
こんなにも私を満たしてくれる彼女に、私だって何かを返したい。

「……ねぇ、」
「はひ?」

シチューの最後の一口を頬張る彼女を、名前で呼んでみようと思ったのだけど、どうしてもあと一声が喉から出てきてくれない。
「ううん、ごちそうさま。おいしかった」
そう言うと、どこか寂しげに「よかったです」と笑う彼女を見るのが辛くて、急くように食器を片付けた。


洗い物が終わり、お風呂を済ませれば、あっという間に日付が変わりそうな時間帯。
「そろそろ寝ます?」と大きなあくびをしながら彼女が言うので、二人揃って寝室へ移動する。

「じゃあ、おやすみなさい」

部屋の電気を消すと、彼女は私に背を向けるようにしてベッドの端の方に潜り込んだ。
なんで、そっち向くのよ。
いつもなら両腕を広げて「はい、どうぞ」とニコニコしながら待ち構えているくせに。その腕の中に収まった私に軽卒にキスを落とすくせに。
ベッドの端と端。その距離感にチクチクと心の内側から針で刺されたような痛みを感じる。

「ねぇ、まだ怒ってる?」
薄闇の中、無口な背中に近づいてみたけれど返事はない。
まだ起きてるんでしょ? だったら、
「……返事ぐらい、してよ」
彼女が寝間着がわりにしているTシャツの裾をくしゃりと掴んで、背中に額をコツンと当てる。
「よぅ、ちゃん……」
車の音も虫の声も聞こえない、静かな夜だった。私の囁くような声が部屋の隅まで届いてしまいそうなほど。でも、彼女から返事はなくて、本当に寝てしまったのかもしれないと自分を慰める。
「……おやすみ」
自分なりに頑張ったのにな、と落胆しながら背中越しにぽつりと零し、その背中に顔を押し付けたまま目を閉じると、もぞもぞと彼女が身を捩ってこちらを向いた。
「……やっと呼んでくれた」
はぁー、と溜まっていた何かと一緒に大きな溜息を吐き出し、その勢いのまま抱きしめられる。背中に回された腕がどうしようもなく嬉しい。
「起きてたなら反応してよ」
舞い上がった気持ちを悟られないように、彼女の肩口に顔を埋めて不満を漏らす。
「すみません。梨子さん、素直じゃないから狸寝入りでもしないとダメかと思って……って、痛いイタイいたいっ!」
彼女の背中の薄い肉をぎゅっと抓ると身悶えながら悲鳴を上げた。素直じゃないのは自覚しているけど、それでも年下の恋人から面と向かって言われるのはなんだか面白くない。
口を尖らす私とは対照的に、痛いと言いながらも嬉しそうにクスクス笑う彼女はきっとドMに違いない。
暗がりの中、彼女の顔の輪郭を確かめるように、両手をその頬に伸ばす。羨ましいほど滑らかな肌を愛おしむようになぞり、親指で柔らかな唇の形を確かめた。

「煽らないでください……今日、木曜ですよ?」
その声に微笑を漏らす。
「そうね。でも、明日は祝日でしょ」
「あ、…」

ポカンと開いたままのその口を自分の口でそっと塞ぐ。たかだか数日ぶりなはずなのに、その感触がひどく久しぶりに思えて、触れるほどに脳が痺れていく気がした。
幸せの味をゆっくりと噛みしめるように堪能して、離れる度にまだ足りないと繰り返し彼女を求める。たった数日でこんなにも彼女が不足してしまうのかと、自分の依存度を思い知る。

「ね、梨子さん……もっかい呼んで?」

部屋の暗さに目が慣れてきて、彼女のとろけそうな笑みが眼前に現れた。顔の筋肉全てが緩みきったその表情はふにゃふにゃという表現がぴったりで、まるで幸せを絵に描いたようだ。
あぁ、やっぱりこの子は誰にも渡せない。

「好きよ、ようちゃん」

擽ったそうに笑うその顔にもう一度キスを落として、何度も、何度も、名前を呼んだ。



【Yes Honey, It’s Thursday!】

Fin.