アイドル千歌ちゃんとドルヲタになってしまった曜ちゃん3
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8064687
声優・松浦果南編です。
曜ちゃん、お誕生日おめでとー!!!
最初→novel/7333337
その次→novel/7395262
またその次→novel/7596972
学校とバイトが終わり、段々と暖かくなってきた空気の中、街灯に照らされた夜道を歩く。沼津にいたころは、空を見上げれば星空が見えたものだけれど、ここじゃ、見えたとしてもおおいぬ座のシリウスがやっと。
早く家に帰って千歌ちゃんと電話をして、レポートをやってからお風呂に入って、なんてスケジュールを頭の中で組み立てていくと、携帯が音を立てて、ポケットの中でぶるりと震えた。
千歌ちゃんが呟いたのかな、と携帯を見ると、なにかのテレビアニメ公式ツイッターの呟きをリツイートしていて、なんだろうと見ていると、すぐに彼女がツイートをした。
『アン役で声優初挑戦! よろしくお願いします!』
え、声優? 千歌ちゃんが? 確かに彼女の声は可愛くて、演技をしているところを見たことがないけれど、そこさえクリアできれば、問題はないだろう。
公式ツイッターから公式サイトへ飛び、他のキャストさんを見ていると、千歌ちゃん以外に知っている人はいない。そもそも、私は声優なんて、誰でも知ってる有名な人しか知らないのだけど。一番上に彼女の名前があるっていうことは、主人公? え、ほんとに?
電車へ乗ってから、暇つぶしにツイッターを開けば、千歌ちゃんファンたちが、喜びを思い思いにツイートしていて、そうさせているのが私の恋人、という事実に嬉しくなる。
『千歌ちゃんが声優! しかも果南ちゃんと共演だー!』
『果南ちゃんと共演とかすごい!』
『女性声優キラーの果南ちゃんと千歌ちゃんかぁ……。ナマモノが加速する予感』
ナナ役の松浦果南さんの話題で持ちきりのタイムライン。どうやら有名な人みたいだけど、あいにく私は声優には興味ないし、千歌ちゃんが出るなら見るけれど、ハマらないだろう。
放送日や放送局を調べていると、どうやらアニメ放送前日に、千歌ちゃんと松浦さんの二人で、とある動画サイトでの生放送番組があるらしい。フォロワ―さんがつぶやいていた、女性声優キラーの果南ちゃん、というワードが、頭の中でぐるぐる回る。
どういう人なのか知らないけれど、調べるのも怖くて、携帯をそっと閉じたのだった。
いつも通り、千歌ちゃんから帰宅してお風呂からあがった、と連絡をもらってから、電話をかける。もう日課みたいになった彼女との電話は、一日のうちでも一番好きな時間かもしれない。実際に会える時間には遠く及ばないけれど、幸せで、千歌ちゃんの甘い声が耳に直接響いて、そのまま蕩けてしまうんじゃないか、って。
そんなこと、あるわけないのだけど。
でもでも、だって。千歌ちゃんのあの可愛い声で、よーちゃん好き、なんて言われた日には本当に嬉しくて。って、2コールの間に、こんなことを考えてしまっている私は、もうほとんど病気みたいかも。
『もしもし、よーちゃん。お疲れさま』
電話に出た彼女の声は、もう既にふにゃふにゃで、少しだけ眠そう。今日はきっと、30分も出来ないのだろうと感じて、でも、完全に仕事モードの抜けきった声は、私だけが聞けていると思うと、嬉しくなる。
「お疲れさま。眠そうだね」
『うぅぅん……、今日はちょっと、色々あって』
「そっか。アフレコ、ってやつ?」
『うん、そー……。チカの役の子のお当番回、っていうか、そういうので。あー……これ言ってよかったんだっけ』
「大丈夫? 寝る?」
本当に彼女のことを思っているのなら、寝る? なんてわざとらしく聞かずに、一言添えてから切ればいいのに。そうしないのは、私が彼女との電話を切りたくないと思っているから。千歌ちゃんの体のことも大事だし、考えているけれど、結局は自分の幸せを考えてしまっているという事実を目の当たりにして、頭を抱えたくなった。
ごめんね、千歌ちゃん。これじゃあ、きみのことを思っている、なんて口が裂けても言えないや。
『寝ない……よーちゃんの声、もっと、聞きたい、もん……』
ふやけきった声で、そんなことを言われて。可愛い、好き、以外の言葉が見つからない。どんなに語彙を尽くしたって、彼女の魅力を100パーセント文字にすることは出来ないのだから、精一杯を、伝えるしかなくなる。
「千歌ちゃん可愛い。好きだよ」
『チカも、よーちゃん好き……』
「ほんと、千歌ちゃん可愛い」
『あは、それ、果南ちゃんにも言われたー』
「…………え?」
途端に聞こえる、静かな寝息。ちょっと待ってよ、さっきのは何? 果南ちゃんにも言われたって、なに? ねぇ、千歌ちゃん。果南ちゃんって、松浦果南さん? その松浦さんに、可愛い、って言われたの? 確かに千歌ちゃんは可愛いよ。そんなの、私が一番知ってる。
でも、でもさ。恋人が、自分の知らないところで、可愛い、って言われている。その事実が、モヤモヤとお腹のあたりで、気持ちの悪い感情になって。
顔も声も知らない、名前しか知らない女性声優に、嫉妬をした瞬間だった。
それから何日か経ち、千歌ちゃんの前では醜い嫉妬心を隠し、彼女の仕事の話を聞いたり、世間話をする日々を送った。高確率で松浦さんの名前が出るのは、正直勘弁してほしいけれど、千歌ちゃんがキャストさんと仲良くしているのは、ファンにとっては喜ばしいことだと思い直し、なんとか持ちこたえていた。
でも、最近ツイッターで目にする、ちかなん、の文字。
最初はなんのことか分からなかったけれど、リツイートでファンアートが流れ、それは、松浦さんが千歌ちゃんを後ろから抱きしめ、耳元で「好きだよ」と囁いているイラストだった。
ちかなんとはつまり、千歌ちゃんと松浦さんの、カップリング名、ってことか。それが、ナマモノと呼ばれる、実在する人物を題材にした二次創作であるらしいことは、最近知った。そして、千歌ちゃんファンは、高確率でちかなんを好きになっている、ということも。
それもそのはずで、リツイートで回ってきた松浦さんのツイートには、「今週のちかなん」「高海千歌が可愛い」などのハッシュタグを付け、ふたりのツーショットをあげていることが多くて。
いわゆる百合営業じゃないか、って思うのだけど、ファンは水を得た魚のようにはしゃぎ、タイムラインは、松浦さんが浮上するたびにお祭り状態になる。
今日も千歌ちゃんが、明日の生放送見てね、なんてツイートをすると、松浦さんは、明日もハグしようね、なんて言うものだから、それがファンの心を刺激し、「明日もってなんだ」「ハグは日常的にしてる関係性」「ちかなんセックスしてる」など、殴りたくなるようなことも呟く人も存在していて。
大切な彼女の、大切な仕事仲間のことを、嫌いになりそうだった。でも、松浦さんは可愛いしかっこいいし、ナイスバディだから、千歌ちゃんも、私より松浦さんのほうがいいのかな、なんて。最近は、そんなくだらないことばかり、考えるようになった。
もう、いやだ。私はやっぱり、千歌ちゃんのファンには向いていないのだろうか。アイドルとドルヲタなんて、こうなることが分かっているのに、付き合うなんて馬鹿らしいだろうか。
千歌ちゃんは、私と松浦さん、どっちが好きなの?
そう聞きたくても聞けない私は、臆病者に違いなかった。
どうしたって時間というものは流れて、当然、翌日はやってくる。つまりは、千歌ちゃんと松浦さんとの、二人きりの生放送番組。その動画サイトの生放送は、無料会員の人は、先に入れていたとしても、有料会員の人が来たらそれが優先になり、追い出されるのだとか。
まぁそうだよね、なんて適当に思って、当然のことのように、携帯料金からの引き落とし設定の後、有料会員になった。あんまり見たいと思わないけれど、やっぱりどうしたって私は千歌ちゃんが好きだから、私が知らない千歌ちゃんがいるってことが、我慢できないほどに嫌だから。
でも、その配信ページに入るなり、右から左へコメントが流れていく。その中には当然、ちかなん、の文字。楽しみだとか、今日はハグするのかな、とか。
松浦さんと千歌ちゃんの距離はとても近くて、なんだかずっと前から知り合いだったかのような雰囲気を出していることも確かで。私は松浦さんの声は聞いたことないけれど、声優をやっているくらいだ。きっと、良い声なのだろう。
私がもっと、しっかりしていれば。私がこんなにダメ曜でバカ曜だから、千歌ちゃんは私を見てくれない。かっこいい松浦さんを見てしまう。私がもっと、もっと、もっと。
そんなことを考えているうちに、画面が切り替わった。白い部屋に、後ろには桜の造花が飾られ、新アニメの宣伝ポスターも壁に貼られて、長机に2人で腰かける、千歌ちゃんと松浦さん。それはいい、いいんだけど。近くない? ふたりなんだから、もっと間を開ければいいじゃん。だめなの? なんでそんな、スペースあるのに腕がぶつかるくらい近いの。
「はい、みなさんこんばんはー! とうとう始まりました、明日からの放送アニメ、ブイラブラのことをお知らせする生放送番組でーす」
台本をちらりと見てから、カメラ目線で笑顔で話す千歌ちゃん。それに隣で頷きながら、にっこりと微笑む松浦さん。艶やかな長い髪を、高い位置のポニーテールでまとめていて、少しだけ垂れた目と、アメシストのようなきれいな瞳が特徴の、美人女性声優。悔しいけれど、本当にきれいで、ハグが似合ってしまうイケメンさも持っている。
「今日は私と千歌、通称ちかなんの二人でお届けします」
落ち着いた声で、すーっと耳に入ってくる、心地のいい声。可愛くて、でも、決してアニメ声じゃなくて。待ってよ、そんなの。くやしいよ。
「初めましての方もたくさんいらっしゃると思うので、簡単に自己紹介していきましょうか。まず私から! アン役の高海千歌です、よろしくお願いします!」
「ナナ役の松浦果南です、よろしくお願いします!」
知らず知らずのうちに、パソコンの前で、ぐっと手を握りこんでしまっていて、手の平は爪で皮が剥がれていたけれど、そんなこと、気にしている暇なんてないくらいに焦っていた。松浦さん、想像以上にバツが付けられない人。千歌ちゃんも、やっぱりこういう人のほうがいいのかな。
「ナナちゃんはどんな人ですか? 果南ちゃん」
「え、それアンちゃんから言わなくていいの?」
「あ、そっか! えへへ」
台本を見ているのに、緊張しているのか、松浦さんに話を振ってしまって。でも、
「もー、千歌はほんとに可愛いなー! ハグしよ」
綺麗な顔で、腕を広げて千歌ちゃんを待つ。そして、当然のように二人は距離を詰め、松浦さんの腕の中に納まる千歌ちゃんを見て、もやもやとした気持ち悪い感情は、もっともっと気持ち悪くなって、吐き気を覚える。なんで当たり前みたいに松浦さんは千歌って呼んでるの? なんでそんなに嬉しそうに、抱き着きに行ってるの?
そして当然、騒ぎ出すコメント。見ていられなくなって、コメントを非表示にした。
「えーと、私が演じるアンは、ネガティブなんだけど、ナナちゃんを初めとするメンバーに出会って成長していく、すごく可愛い女の子です。特技は空手です」
「千歌みたいに可愛いよね」
「恥ずかしいからそういうこと言わないでよ……。ナナちゃんはどんな子?」
「私が演じるナナは、小原鞠莉ちゃん演じるニャアちゃんのことが大好きで、あんまり積極的に喋ったりしないんだけど、そこがいいですね。あと英会話が得意なので、そういう場面が出てきたらどうしようっていうのが、最近の悩みかな」
じゃあその小原さんと仲良くしていればいいじゃないか、なんて思ってしまうのは、私の心が狭いからなのかな。こんなんじゃ、いつか千歌ちゃんに見捨てられちゃう。私の心は、千歌ちゃんに全速前進していたはずなのに、どこで航路を間違えちゃったんだろう。このままじゃ、難破しちゃいそうだよ。
「そのニャアちゃんもすっごく可愛いんだよね! 笑い声が好き」
「あれ、鞠莉はどうやって演じてるんだろうね? 笑い声とかもうおじさんみたいなのに」
「そこが可愛い」
「分かる」
そこから、テレビアニメのあらすじを紹介したり、小原さん演じるニャアちゃんの話だったり、他のメンバーの話も交え、時折ふたりは手を握って笑いあっていたりして、そんな光景をずっと見ていられるはずもなく、そっとブラウザを閉じた。
心のなかで、形容しがたい痛みと気持ち悪さが、ぐるぐる回っている。どうすればいいのか分からない痛みに、無意識的に頭をくしゃっと掻いて、泣きそうになるのをぐっと堪えた。
千歌ちゃんが共演者の人と仲良くしている。それはいいことのはずで、私はそれを望まなければいけない。春から始まる新アニメ。そして、千歌ちゃんの声優初挑戦にして初の主役。応援しているのに、応援しきれていない自分に、腹が立って仕方がない。
松浦果南さん。彼女はとても綺麗で、かっこよくて、声も素敵で。今日見ていた限りでは、きっと千歌ちゃんのことをよく見て、しっかりフォローしていたし、笑いに変えられるところは変えていたし、素敵な人なのだろう。でも、やだよ。私には千歌ちゃんしかいないのに、私の千歌ちゃんを、とらないでよ。
その日、私は初めて、千歌ちゃんの電話を無視してしまった。
テレビアニメがスタートし、千歌ちゃんもアフレコが大詰めのようで、次第にメッセージも電話も、少なくなってしまっている今日この頃。きっとそれ以外にも仕事があって、忙しいに違いない。そのテレビアニメが人気なこともあって、ツイッターのフォロワ―の数も、どんどんと増えていっている。私がフォローしたときは、5千人にも満たなかったのに、今ではもう10倍ほどになっていて。
差を感じずには、いられなくなっていった。
別に千歌ちゃんと同じくらい有名になりたいとか、そんなんじゃない。そもそも彼女はアイドルで、私はファンである一般人。差なんて当たり前のようにあって、でも彼女は、私の唯一無二の恋人。だから隣に立ちたいって思うのに、彼女はどんどんと遠いところに行ってしまうようで、追いつきたくても追いつけない。
一人っ子で、昔からモヤモヤすることがあんまりなくて。だって、人より器用らしくて、なにかが出来なくてモヤモヤしたことって、ないんだもん。だから、そのモヤモヤをどうすればいいのか分からない。
「おーい渡辺、そろそろ練習終わりにするぞ」
コーチがそう言っているのに、高飛び込みがしたくてしたくて止められない。というより、千歌ちゃんのことを考えたくないばかりに、練習に打ち込んでいる、と言うべきかもしれない。飛び込み台に立つと、不思議と嫌なことも忘れられる。宙を待っているときも、入水するときも、千歌ちゃんのことなんて、一切考えなくて済む。
だけど、水面に浮上して、ぷはって息を吸った瞬間、頭の中は千歌ちゃんでいっぱいになって、ぐるぐるとくだらないことばかり考えてしまうから、私はまた、飛び込み台へと上がろうとする。
でも。もっともっと飛びたいのに。やっぱりスポーツである以上は体力を消耗し、もう飛ぶ力も残っていないみたいに、どんどんと力が抜けていく。たぶん、きっと、疲れている。こうやって、へとへとになったときは千歌ちゃんをぎゅーって抱きしめて、肺一杯に彼女の柑橘っぽい甘い香りを吸いこんで、千歌ちゃん大好きって言って、曜ちゃん大好きって言ってもらえば、何でもできそうなくらいに回復するのに。
って、また千歌ちゃんのこと考えちゃってる。ほんともう、やっぱり、好きみたい。松浦さんにだって、他の誰にだって渡したくないくらい、好きなんだもん。
「あー……バカ曜だぁ……」
コーチに半ば怒られるように、今日はもう終わりだと言われ、シャワーを浴びてから着替えるためにロッカーを開ける。そして、なんとなく見た携帯には、いくつかの通知と、ふたつのメッセージ。
一つ目は、千歌ちゃんのファンクラブからのお知らせ。どうやら、セカンドライブが5月後半に決定したらしい。今は4月中旬で、1か月と少ししかない。ファンクラブ先行申込みが、明日の正午からスタート。それは、前回と同じなのだけど、私はあまり、行きたいとは思わなかった。
千歌ちゃんのことは好きだし、歌も大好き。でも、たくさんのファンに応援されて、嬉しそうに笑っている千歌ちゃんを見るのが、最近とても苦しくて、応援出来ない自分が悔しくて、答えのない迷路のなかに、閉じ込められているみたいな気になる。
はー、とひとつため息をついたあと、もうひとつのメッセージを見ると、千歌ちゃんから。
曜ちゃん飛び込みの練習だよね? 外で待ってるね。
そんなメッセージ。ふぅん、千歌ちゃん外で待ってるんだ。
「って、え!?」
それをくれたのは、20分前。あああ、バカ曜だ! 今日の練習は何時までだよー、って朝行くときに千歌ちゃんに送ったのに。終わったらこないだ電話できなかったから、今日はしようね、なんて平然を装って送ったのに。
急いで、今終わったと連絡し、ぽたぽた水が滴る髪の毛を乱暴に拭いて、競泳用水着を脱いで、これまた適当に体を拭いてから学校指定のジャージに着替える。そういえば、この格好を千歌ちゃんに見せたことなかったな。白を基調にして、腕のあたりに赤い線が入って、背中に黒のアルファベットで、学校の名前が入っている、いい意味でよくあるやつ。
急ぎすぎてちょっと転びそうになったけれど、なんとか踏ん張って、タオルを首にかけて、鞄を持って外へと走る。そのときに携帯をちらちと見ると、待ってるね! なんてみかんの絵文字付きで送られてくるものだから、走る脚は、もっと速くなる。
さっきまでライブに行かないでおこうかな、なんて思ったくせに、今はもう行く気満々。ほんと、私ってどうしてこんなに単純なのだろう。千歌ちゃんが好きだから、仕方ないよね!
「千歌ちゃん!」
「よーちゃん! お疲れさま」
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「大丈夫。あ、そのジャージ学校の? かっこいいね!」
「えへへっ、ありがと!」
大学から出てすぐの、駅の裏で人気のあまりいない自転車置き場に、彼女は立っていた。キャップをかぶってマスクをしているけれど、他ならぬ千歌ちゃんの姿を、私が見つけられないはずはない。あたりをぐるっと見回して、誰もいないことを確認すると、ぎゅう、って力いっぱい抱きしめた。久しぶりの千歌ちゃんの甘い香りと、柔らかい髪の毛の感触に、さっきまでの疲れは、やっぱり吹き飛んでしまった。
苦しいよぉ、なんて腕の中で千歌ちゃんが声を出すけれど、そんなの気にしていられないくらいに、嬉しくて、抱きしめる腕の力を弱められそうにない。だって千歌ちゃんが、わざわざ仕事終わりに来てくれたことが嬉しくて仕方ないんだもん。
「ね、よーちゃん」
「なに、千歌ちゃん」
きついくらいに抱きしめながら話すのって、なんか好き。声も吐息もなにもかもが近くて、彼女のそばにいることを許されているんだって、実感できるから。
「お誕生日おめでとう」
「…………へ? あっ……! そっか、今日、わたし誕生日か……」
「えぇー? 忘れてたの?」
「だって今日は休講だったし、高飛び込みの練習も、みんな学校あるからって私だけだったし」
「じゃあ、チカが初めて?」
「そういうことになるかな」
やった、って嬉しそうに言ってから、彼女はまた、背中に回してくれる腕の力を強めた。そっか、誕生日か。20歳の、人生のうちでも特別な誕生日。そんな日に千歌ちゃんがお祝いしてくれて、本当に本当に嬉しい。千歌ちゃんの誕生日は8月だから、それが過ぎたら、ふたりでお酒を飲んだりできるのだろうか。そうなったら、とっても幸せだと思う。
「誕生日プレゼント渡したいから、そろそろ離してくれると嬉しいなぁ」
「そう言いながら、腕の力が強くなってますよ、高海さん」
「渡辺さんも人のこと言えないじゃん」
なんでもないやりとりを、二人でくすくす笑い合ってから、なんだか離れがたい気持ちをぐっと堪えて体を離すと、千歌ちゃんも似たような、寂しいよって顔に書いてあるみたいな顔をしていて、それを見て、また二人で笑い合って。
夕焼けに染まる空は、千歌ちゃんの色。でもまだ奥の空は青いままで、いつか千歌ちゃんは、曜ちゃんは空の色だと言ってくれたから、きっと今は、私と千歌ちゃんの色。
そんな空を背にして、バッグから淡い水色の袋を手に持って、思わず見とれてしまうほどの綺麗な笑みを浮かべながら、差し出してくれる。
「曜ちゃん、お誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、出会ってくれて、ありがとう」
「ありがとう、千歌ちゃん……嬉しい」
受け取って、開けていい? って確認してから小さめの真っ白な箱を開くと、ピンクゴールドの、碇マークのネックレス。碇って男性のイメージで、女性が付けるといかつくなるって聞いたことがあるから、きっと小さくて、女性が付ける色を選んでくれたのだろうと、一目でわかった。
そんなの、なんか、ね。嬉しくないわけなくて、その箱をバッグにきれいに入れてから、再度千歌ちゃんに抱き着く。思いがあふれそうになって苦しくて、そうしていないと泣いちゃいそうなくらいに、嬉しくて。
「よーそろぉー……!」
「よーちゃーん」
「嬉しいよーそろー……千歌ちゃん……! 好きぃ……っ」
「私も好きだよーそろー」
好き。毎日つけて、毎日千歌ちゃんを感じよう。そう思って、千歌ちゃんを家に誘おうとしたのだけど。あわよくば、誕生日だから千歌ちゃんをちょーだい? なんて言おうと思ったのに。
ふたりの甘い空気を切り裂くように鳴ったのは、千歌ちゃんの携帯から流れた、着信音。ふたりしてびくって肩を震わせて、からだを離したのだけど、彼女が眉を下げて、ごめんね、なんて本当に申し訳なさそうに言うものだから、全然大丈夫だよって敬礼してみせた。
それににっこりと微笑んだ彼女は、画面に映されているであろう名前を見て、少し嬉しそうな顔をして。
「もしもし、果南ちゃん?」
その声を聞いた瞬間、私の心は凍った。
「あ、うん、大丈夫。え? あー……そうだよね……」
何を話しているのかは分からないけれど、ちらりとこちらを気にするように見た千歌ちゃん。きっと、松浦さんから今から来れない? なんて聞かれているに違いない。お仕事仲間で、声優アワード受賞ワンチャン、なんて言われているくらいに実力を認められている声優さんと仲良くしているということは、きっとこれから、彼女にとってプラスになる。
引き留めたい心にフタをして、携帯のメモ帳に、手早く「行っていいよ」と打って、画面を彼女に見せる。声を発してしまうと、もしなにかあったとき、面倒なことになるから、そういうことも忘れない。千歌ちゃんは私の恋人である前に、アイドルなんだから。
その画面を見た千歌ちゃんは、ぱあっと嬉しそうな顔になって、それから、申し訳なさそうに眉を下げて、口パクで、ごめんね、と伝えてくれる。
誕生日という日に、千歌ちゃんから会いに来てくれて、ぎゅうって抱きしめてくれて、プレゼントまで用意してくれたんだもん。これ以上、なにを望むって言うの。
「うん、今から行くよ。台本持ってるから。うん、じゃあね、果南ちゃん」
電話を切った千歌ちゃんは、まず、ぱんって両手を合わせて、頭を下げた。
「よーちゃんほんとにごめんなさい! これから最終話の練習で、果南ちゃんと台本の読み合わせすることになった……」
「大丈夫だよ。アニメ、楽しみにしてるね」
「うん、ほんとごめんね……! 改めて誕生日おめでとう」
「ありがと、千歌ちゃん」
「じゃあね!」
背中を向けて、駅へと走り出す彼女の背中を見つめて、深くため息をつく。それから深呼吸をして、もやもやと苦しい胸に、なんだかんだと言い訳。千歌ちゃんみたいな仕事は、不定期なのだから仕事優先は当たり前。恋人である前にファンなら、応援すべき。せねばならぬの根性精神は、運動部で培われたものかどうか分からないけれど、ひとつ言えることは、やっぱり私は、千歌ちゃんを応援すべき人間ではないのかもしれない。
その証拠に、さっきまで行こうと思っていた彼女のセカンドライブは、行かないの方へ、メーターが振っているみたいだった。
それから彼女は、セカンドライブのリハーサルや、ライブの開催と同時に発表された、サードアルバムのレコーディングにと、忙しく働く日々になっていた。例のテレビアニメは、最終回のアフレコを終えたようで、あとはブルーレイの特典映像で色々とキャストの人とも会っているみたい。
それだけ忙しいのに、千歌ちゃんは変わらず私との電話の時間を作ろうとしてくれて、最初のうちは嬉しくて仕方がなかったのだけど、段々と、眠そうにふにゃって声で、懸命に口と頭を動かそうとする彼女に申し訳なくなって、最近では、私の方から遠慮するようになっていた。
話したくないわけじゃない。むしろ、ふにゃふにゃな千歌ちゃんの声は私だけのものだし、可愛いけど、それだけ疲れているってことだし。なんていうのは建前で、以前にも増して出てくる松浦さんの名前や、相変わらずの松浦さんからの「今週のちかなん」ツイートに、心が痛くなって、限界だった。
見なければいいのにって思うし、私もそうできるならそうしたいけれど、千歌ちゃんがそれをリツイートしてしまうから、必然的に目に入る。通知を切ればいいのに、って思うのに、それでも切れない私は、心のどこかで、彼女が以前のように、私に関することを呟いてはくれないだろうか、と期待しているからなのかな。
オタク用語で私信と呼ばれるそれを、欲しいと思っているのかな。バカ曜、ここに極まれりって感じだと、自嘲的に笑った。
セカンドライブの当落が出たようで、前のように指定席をゲットしたファンは喜び、指定席が外れ、第二希望のスタンディングが当たったファンは悔しそうなツイートをしていた。今回は、前回よりも大きな会場で、思い切ったなと思ったのだけど、やっぱりチケット自体は指定席、スタンディングを気にしなければ全員が当選していたみたい。行きたい人が行けないよりはいいと思うのだけど、運営としては、それはどうなのかな。
申し込みすらしていない私が言う権利もないのだけど。
ファーストライブは冬の空気の中、物販を並んだのに、今ではすっかり暖かくなって、むしろ暑いくらい。まだ夏というわけではないけれど、ぽかぽか陽気と言うには太陽からの熱が、強すぎる。そんな5月、ついに彼女のセカンドライブ前日となった。
明日はなにをしようかな。高飛び込みの練習もなければ、バイトも入っていない。最近は疲れているし、ゆっくり家で一日寝ているのも魅力的かな、なんて思っていると、ツイッターで、リプライが飛んでくる。
確認すると、ファーストライブ後も仲良くしてくれているルビィさんで、どうやらスタンディングのチケットがさばけずに困っているらしい。
ヨーソローさんよかったら行きませんか? 定価より安くても全然かまいませんので、なんて言われて、あの小動物を思わせるような美少女が、うるうるな瞳でお願いをしていることを思えば、断れるはずもなく。
考えるよりも先に、定価で譲っていただけますか? って返事をしていたから、私はどこまでもバカ曜だけれど、ルビィさんの誘いを断ってしまうくらいなら、バカ曜でもアホ曜でも、なんでもよかった。
と言っても、ルビィさんのように優良オタクでもない私は、開演ギリギリか、遅刻して行くような気がするので、ルビィさんと近くのコンビニ前で会って、チケットの受け渡しを完了させた。どうやら、住んでいるところが近いらしい。
また今度遊ぼうね! って敬礼しながら言うと、少し恥ずかしそうに敬礼をして、是非! って言ってくれるから、ルビィさんって本当に天使だと思う。可愛すぎる。
家に帰ってからチケットを見ると、整理番号3番で、さすがはルビィさん。余らせているチケットも、良すぎるくらいにいい番号で、もしかしたら、私のためにいい番号を残してくれていたのかもしれない。
スタンディングは、整理番号順に入れるから、私は3番目に入れる。この番号なら、スタンディングスペースで最前は確実で。でもルビィさん、本当にごめんなさい。私、行かないかもしれません。
千歌ちゃんとは、あれから連絡もあまりしなくなってしまって、彼女はきっと、私が来ると絶対に思っている。ルビィさんに申し訳ないから、行こうとは思うけれど、開場時間になっても、私は家から出ずにいた。
あと1時間でライブが始まるのに、グッズも何も買っていない。オタクのたしなみである光る棒も、彼女がデザインしたらしいTシャツも、可愛らしい千歌ちゃん満載のパンフレットも、なにも。
もう千歌ちゃんの現場から、他界しよう。そして、こんなダメな私は、千歌ちゃんのそばにいるべき人間ではないから、嫌だけど……嫌で嫌で仕方がないけど、別れを言おう。きっと千歌ちゃんは、私なんかよりも、ずっとずっと幸せにしてくれる人が現れる。もしかしたら、松浦さんがそうかもしれないけれど、そう考えれば、お似合いかもしれない。
松浦さんは周りをよく見ていると小原さんも言っていたし、千歌ちゃんも松浦さんが大好きみたいだし。真面目でかっこいいし、何事にもストイックだし。ツイートに前面に現れる彼女の人間性は、認めざるを得ない。彼女はよく、私は頭からっぽだから、なんて言うけれど、決してそんなことないと思う。
ド素人が何言ってるんだって思うかもしれないけれど、実際、ファンアートでもそのような話が多いのも事実。もうだから、曜が出る幕はないってこと、なのかな。
重い腰をあげて家を出れば、開演45分前。会場には、きっと開演ギリギリになるのだろう。一応ファーストライブのときの、みかんブレードも持ってきたけれど、振らないだろう。別れを決心して、そんな心情で、周りのオタクのようにはしゃげる人がいたら、一目見てみたい。
千歌ちゃん。今日はセカンドライブだね。きっとあなたは、綺麗な笑顔をいっぱい浮かべて、ファンに感謝の気持ちをいっぱい伝えて、大好きってみんなに言うのだろう。それを否定する気はないけれど、私にも言ってほしい、なんて思うのは、今日でおしまい。
千歌ちゃんのファンも、千歌ちゃんの恋人も、今日で終わりにする。重い足取りを誤魔化すように、競歩のように速く歩いたつもりだったのに、会場に着いたのは、開演5分前。そんな時間になると、みんな会場の中へ入ってしまっているから、会場推しと呼ばれる、入らないけれど会場には行くファンと思しき人たちと、スタッフさんのみ。
そのスタッフさんにチケットを見せ、半券をもぎってもらってから会場に入ると、まず目に飛び込んできたのは、フラスタの数々。そういえば、ファーストライブは私もフラスタを作ったっけ。イラストを何度も描きなおし、お願いしているお花屋さんと相談を繰り返し、やっとの思いで出来上がらせたっけ。
今日、私のフラスタはないけれど、前回の倍以上のフラスタと、アン役で出演しているアニメからと、そして、松浦さん個人からのフラスタ。やっぱり、出してる。なんとなくそんな気はしてたけど、そのフラスタは二段で、ファンのものと大差ないくらいに豪華で。
愛されてるなぁ、千歌ちゃん。そんなふうに思えるのは、別れを決心しているからなのか、なんなのか。でも、心にまだあるモヤモヤには、気づかないふりをした。
「うわぁ…………」
スタッフさんに扉を開けてもらって、ライブ会場の中へ入れば、ステージはおろか、指定席の人すら見えない人の数。スタンディングチケットを持ったファンたちで埋め尽くされてるスペースは、暑い時期ということもあってか、なかなかの臭い。
離れようと思っても、ぎっしりと会場は人で埋められているのだから、後ろだからと言ってスペースは無い。こういうのを、人権がないと言うらしいけれど、そんなことはどうでもよくて、とにかく臭い。これからライブが終わるまで、この何とも言えない臭いに耐えなければいけないのか。
それこそ人権がないんじゃないだろうか。整理番号3番なのにギリギリに会場入りした私が言えることじゃないけれど、ステージは私よりも背の高い男の人たちで視界が遮られてて見えないし、暑いし。
携帯を見るともう1分前で、きっと開演前の案内も終わってしまったのだろう。深くため息をついたあと、携帯の電源を切って、始まるのを待った。
そして、始まったセカンドライブ。ファーストライブと同じ曲で始まったそれは、開始数秒で、会場は一気に熱気に包まれた。可愛らしくもかっこよく歌い上げていて、千歌ちゃんの姿こそ見えないけれど、からだの震えを感じる。
続く二曲目は、ファンの間で人気の高い、カッコいいロック調の曲。魂を削るような歌声に、やっぱり千歌ちゃんの声が好きで、歌声が好きで、千歌ちゃんのことが好きで好きでたまらないのだと、再認識してしまって。でも、私は今日で、終わりを告げなければいけない。
そんな私の思いを代弁するかのように、3曲目はかっこよくも切ない、失恋ソング。こんなに好きなのに、あなたの隣にはあの子がいて、触れたいのに触れられない。欲しいのに、手に入らない。あなたの笑顔が見たいだけなのに、願えば願うほど、あなたは遠く離れていってしまう。
千歌ちゃん、やっぱりきみが好きだよ。どうすればいいのかな、やっぱり、離れたくないよ。ぐるぐるで、ぐちゃぐちゃで。分からないと叫ぶ心は、いつか涙となって、頬をつたっていた。
「みなさーん! こんちかー!」
「こんちかー!」
「わっ、すごい元気! ありがとうございます」
気づけばMCに入っていて、嬉しそうな千歌ちゃんの声に聞き入った。衣装が見えないのは残念だけれど、きっと彼女はツイッターでアップしてくれるはずだし、それでいいかな、って。
「前回のファーストライブからあんまり間は空いてないけど、またライブしちゃいました」
おどけたように言ってみせてから、
「そういえば、ファーストライブに来てくれた人っている?」
そう聞けば、はーい、なんて幼稚園児のように返事をしながら手を挙げるファンたち。私もひっそりと小さく手をあげたけれど、当然、千歌ちゃんからは見えていないのだろう。指定席のほうはどうなっているか分からないけれど、スタンディング席は、ファーストに行ったオタクとそうでないオタク、半々くらいで、やっぱり人が増えたなと感心してしまう。
「わ、前回も来てくれた人がこんなにいるなんて、すっごく嬉しいです! ありがとうございます!」
それから、最近は暑いねーなんて世間話から始まり、山場を迎えたアン役で出演中のアニメの話をしているうちに、スタッフさんから次の曲いけとカンペを出されたらしく、会場の笑いを誘って。
そういうところ、ずるいと思う。ちょっとだけ抜けているところがあるから、みんな、千歌ちゃんのことが心配で、応援しなきゃってなる。そして応援しているうちに、千歌ちゃんの中に秘められたかっこよさや可愛さに惹かれて、どんどん好きになる。
やっぱり千歌ちゃんはすごい。こんなバカ曜といるべき人ではないのかもしれない。
「それじゃあ次の曲いきます! みんな、今日は全力でいくから、ついてきてね!」
ファンがブレードを振って、大きな返事をしたと同時に流れる4曲目のイントロ。それからは魂が震えて、ブレードこそ振らないけれど、千歌ちゃんの曲に聴き入って、微動だに出来ないくらいに圧倒されて。
力強く歌いすぎて、たまに声がかすれていたりするけれど、それもライブならではだし、千歌ちゃんの生歌ってことをより実感できて、最高に楽しくて。もっと千歌ちゃんの歌が聞きたい。もっともっと、千歌ちゃんのことが好きだと言いたくて。
さっきまで、今日で他界する、千歌ちゃんとも別れる、って思っていたのに。なんでかな。そんな思いは、今では悩むまでになっていって。
そこまで意志が弱いわけじゃないと思うのだけど、やっぱり千歌ちゃんは人を魅了するのが上手で、諦めきれなくなっちゃうよ。好きだよ。
間に挟むMCで水を飲むと、決まってファンからの「お水おいしい?」が飛んでくるけれど、おいしー! って嬉しそうな声で答えるから、きっと本当に楽しいのだろう。多分、満面の笑みでそう言っているのだろうと思って、整理番号順に入ればよかったかな、って思っても仕方のない後悔をしたりして。
そんなことを思いながら、体感的にはそんなに時間は経っていないはずなのに、気づけば千歌ちゃんはステージからはけていて、会場は、アンコールでいっぱいになった。
千歌ちゃん。千歌ちゃん。千歌ちゃん。どうしよう、好きって思っちゃった。好きなのは当たり前だし前からだけど、松浦さんに負けたくないって思っちゃった。もし仮に松浦さんのことが好きになっちゃったとしても、また好きにさせたい、って思っちゃった。
どうしよう。別れるべきなのは分かっているのに、なんでこんな気持ちになっちゃうんだろう。千歌ちゃんのライブに来ただけで、こんなに心躍って、おかしくなる。
「みんなー、アンコールありがとう!」
本当に嬉しそうな声を出して会場に戻ってきた千歌ちゃんは、それから少し話して、2曲歌い上げた彼女は、ほうっと一息ついてから、あのね、と切り出した。
「私、なんと!」
「おおっ?」
「なんと!」
「おおっ?」
お約束のようにファンを煽ってから、
「初めて作詞をしました!」
少し恥ずかしそうに、でも、自信を持ってそう言っていて。それにファンは、拍手をしたり、指笛を吹いたり、声をあげたり。反応は様々だったけれど、私は千歌ちゃんの歌詞というものが、とても気になった。みんなそうだろうけれど、歌詞ってその人の内面が写るって言うか、そんな気がするから。
きっと、ファンのことを思って書いたのかな。
「次のアルバムでも収録されていますので、楽しみに待っていてもらえたら嬉しいです。そして、今日のラストはやっぱり、その曲を歌っちゃいます!」
ファンが声をあげる前に、食い気味に流れたイントロ。きっと千歌ちゃんは、聞かせる気満々で、ファンにも反応する時間を与えなかったのだろう。そんなことはいいから、とにかく聞いて! なんて言うみたいで、ちょっと笑ってしまう。
でも、その歌詞は。
いつも見守ってくれていることへの感謝と、大切に思っているという気持ち。人気のないところで抱きしめあったことや、おうちデートもいいよねって歌詞。すれ違う時間のなかで、どうしても声が聞きたくて、電話をかけてしまうことへのごめんねとありがとう。こんな私だけど、どうかこれからもよろしくね。
そんな、歌詞で。
私の誕生日のときに、駅の裏の人気のない場所で抱きしめあったことや、おうちデートを重ねた日々。忙しい千歌ちゃんと、千歌ちゃんのオフの日に限って高飛び込みの練習があって、なかなか合わない時間。でも、それでも時間を合わせて電話をしたこと、すべてを思い出させる歌詞に、私は、ただただ涙を流すことしかできなかった。
千歌ちゃんが書いた歌詞。心の中の声。好きの気持ちがお題だったから、本当に大変だった、なんてそういえばMCのときに言ってたっけ。アイドルと言えば恋の歌でしょ? って千歌ちゃんはおどけて言っていたけれど、期待していいんだよね。
これは私のための歌で、私のことを書いたんだよね、って。
「っあ…………うぅ……ちか、ちゃん…………」
その曲を歌い終えたあと、ファンたちが騒いでいるのをいいことに、私は嗚咽を漏らして泣いた。もう無理だった。千歌ちゃんのことが好きで好きで、たまらなくなった。やっぱり別れることなんて出来なくて、歌詞では、千歌ちゃんは私のことをまだ好きでいてくれているみたいだし、なんて言い訳を付けて、いっぱいいっぱい、泣いた。
千歌ちゃんのセカンドライブの翌日。彼女はライブ後だからということでお仕事はお休みで、私は学校があったけれど、当然のごとくサボった。なぜなら、千歌ちゃんが久しぶりに、我が家へ来てくれるから。
普段の千歌ちゃんなら、学校には行かなきゃだめだよ、って言うのだけど。一度は当然言われたけれど、私が嫌だと駄々をこねて、千歌ちゃんもそれ以上は何も言わずに、じゃあ明日よーちゃんち行くね、って耳がくすぐったくなるような甘い声で、電話口で言ってくれた。
まだかな、まだかな。そわそわとドキドキでいてもたってもいられなくなって、筋トレでリラックス。パパもママもお仕事でいないから、千歌ちゃんとふたりきり。二人はアイドルなんて知らないから、千歌ちゃんを見ても分からないのだろうけれど。
趣味の筋トレを張り切ってやっていると、家のチャイムが鳴らされると、それまでしていた腕立て伏せの状態から、陸上選手もびっくりのクラウチングスタートの体勢になって、玄関までダッシュ。
緊張で震える手で鍵を外すと、もう6月になって、まぶしくなった太陽にも負けないくらいに、綺麗な笑顔を見せながら、ぎゅう、って抱き着いてくる愛しい恋人。
「千歌ちゃんっ……!」
「よーちゃん! 会いたかった」
「私も!」
玄関で、いつかみたいにぎゅうぎゅうに抱き合って、背中に回す腕を強めれば、彼女も腕の力を強めてくれて。くっついちゃいたい、って思うくらいに大好きで、くっついたまま離れたくない。
「ねぇねぇ、千歌ちゃん」
「なーに?」
「そういえばライブの時に聞かせてくれた千歌ちゃん作詞の曲さ」
「うん」
「曲のタイトル言ってなかったよ?」
「えっ、そうだっけ!?」
こういう、ちょっと抜けてるところがいいんだよなぁ、なんて思うし、からだを離したあとは頭を撫でて、唇を奪ってやろうかな、って考えていたのに。恥ずかしそうに微笑みながら、曲のタイトルはね、と言った千歌ちゃんの次に続く言葉に、やっぱり私は、止まってしまう。
だって、だって、だってさ! 千歌ちゃん、ほんとにきれいな顔で。
「YOU、だよ」
「ユー?」
「うん、まぁ、読みかたはそうなんだけど。私、別の意味で、このタイトルにしたの」
「へぇ、どんな?」
「曜」
「へ?」
「ヨウ。YOU」
はにかみながら唇を奪われた私は、結局は千歌ちゃんと別れることも、千歌ちゃんの現場を他界することも出来なかったけれど、でも、それでよかったと思う。
「もー……千歌ちゃん、ほんと好き……」
「チカも、曜ちゃんのこと大好き!」
だって今、最高に幸せなんだもん!
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