番外編:もしもの世界⑦オワリ
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これにて、『番外編:もしもの世界』は終幕となります。
ここまでお付き合い頂き、感謝ですm(__)m
ただのネタがここまでになるとは書いた最初は思いもしなかったですが、書き終えてホッとしております。
ダイマリさんは数年後を書く予定だったけど、内なるダイヤさんが突っ走って行ったので前回の続きの話になっちゃいました。数年後は幸せさんですよ~。善子が砂糖吐くくらい(笑)
コロナ流行ってますけど、皆様お気をつけを~。みのじは花粉症で鼻がずびずびしております。
「善子ちゃん、本当にごめんなさい!」
目の前で、おそらくはダイヤさん監修であろうお手本となりそうな見事なまでの土下座を披露する幼なじみに困惑しか出てこない。
久しぶりに訪れたずら丸の実家であるお寺の一室。
高校の時は何度も足を踏み入れたこの部屋で私を待っていたずら丸は私の顔を見るなり前述のような行動を取ったわけなんだけど、うん、どうしようか、この状況。
先手を打たれてしまって肩透かし状態というか、なんというか。
とりあえず頭を上げさせよう。ずら丸がそうしなきゃいけない理由がないのだから。
「頭上げなさいよ。別にあんたがそんなことする必要ないでしょうが」
ドサリとのっぽが一杯に詰め込まれた大きめのビニール袋をずら丸の前に置いて、その袋を挟んでずら丸と向かい合わせになるように座る。
「で、でも善子ちゃん……」
おそるおそる顔を上げたずら丸がひどく情けない顔でこちらを伺ってくるのに苦笑で返す。
「謝らなきゃいけないのはこっちの方。私が思う以上に心配掛けてたのね。……ごめん、ずら丸」
「でもマルは知ってたのにっ!善子ちゃんがどれだけ鞠莉さんの事が好きだったのか、あの後どれだけ善子ちゃんが苦しんできたのか知ってたのに、マルはずっと鞠莉さんの事黙ってたずら……!」
「事情はダイヤさんから聞いたわよ。それに口止めもされてたんでしょう?」
波長が合うのかダイヤさんに懐いていたずら丸だから、私とマリーのためと言われてきっと悩みつつも従ったのだろう。
「もういいのよ」
笑って、そう言う。
ずら丸のことを怒るという気は一切ない。もしも話してくれていたら、なんてタラレバで責めるつもりもない。それ以上に心配して支えてくれてきた人にそんなことを言うわけがない。
「あのね、ずら丸…」
あの日あったことを話していく。
マリーと再会して、番になってほしいと言われ、そしてそれを断ってお別れしたこと。
ずっとずっと燻っていた中途半端な幕引きが、ようやく果たされたこと。
そしてダイヤさんから話を聞いたこと。
自分の中でまとめてはいたけれど実際に話してみれば聞き苦しい所もあったと思う。
でもずら丸は時折相づちを打ちながら、最後までちゃんと聞いてくれた。
「………そっかぁ」
目を伏せて大きく息を吐いたずら丸の表情はどこか苦しんでるような、ほっとしているような、そんな曖昧な顔。気になって問い掛けてみればしばし迷ったあとでずら丸は口を開いた。
「……善子ちゃんは、ほんとにそれで良かったの?鞠莉さんとやり直さず、完全に終わらせる事を選んでそれでほんとに良かったの?」
それを聞いて思ったのは何を今更なことを、だった。
「いいのよ。それに分かってたんじゃないの?私がそうすることを」
ずっと私を見てきたずら丸なんだから私の答えなんて予想はしていたはずだ。
現に私の答えを聞いて首を縦に振っている。
「もう時が経ちすぎてあの頃とは違うし、純粋に慕っていたあの頃には戻れない。マリーが迎えに来るのがもっと早ければまた違っていたのかもしれないけれど、今の変質してしまったこの想いでは自分だけじゃなくていずれマリーも傷付けるだけよ」
自分が傷付くだけならともかく、マリーまで傷付けることになってしまったら今度こそ本当に好きなったことを後悔しそうだ。
すでに傷付けてしまったけど、それはかつての仕切り直し。かつて負うべき傷だったものだ。
次へ進むために必要な傷だった。
「だから、これでいいの。……………今までありがとう、花丸」
色んな思いを込めて告げる。
そこには強がりも後悔もなくて、それでようやくずら丸も納得してくれたようだった。
置いておいたのっぽの入った袋をさらにずら丸の方に押しやりつつ、今日の本題に入ることにする。
別にずら丸に謝罪させるつもりでずら丸に会いに来たわけじゃない。
私は答合わせをしにここを訪れたのだ。
「ずら丸。あんた、私と桜内さんをくっつけようとしてたでしょ」
びくりと跳ねた肩が私の問い掛けが正解であったことを物語っていた。
「桜内さんにもアドバイスしてたんでしょ?もしかしてあの頃のことも話した?」
今度はビキッと固まったずら丸にやっぱりね、と思う。
ずら丸と会ってから桜内さんの言動に多少変化があったし、それになにより、私に桜内さんをデートに誘えと言ったこと。
どちらかというと後ろ向きな私の性格を良く知るずら丸ならいきなりデートとか言わずに、もっと話せとか距離を詰めろとか言うだろう。
そして。
「あんたは、マリーが帰ってくるのが分かってたからデートに誘えって言った。違う?」
ジロリと睨めばあたふたとさ迷う視線にため息しか出てこない。
「解せないのは私のマリーに対する気持ちを知っているのにそうしたこと。なんでそんなに急いだわけ?」
好きだけど、好きだからこそきちんとした形で終わらせることを心の底でずっと望んでいた私をずら丸は知っていた。おそらく本人以上に分かっていた。
なのに何故桜内さんとの距離を急いで縮ませようとしたのか。
「……だって善子ちゃん、優しいんだもん」
諦めたようにため息をついてから、ずら丸はこちらをまっすぐに見つめる。
「優しいから、ほだされて鞠莉さんと番になるかもしれないって。自分の傷なんか見ない振りして鞠莉さんと一緒にいることを選ぶんじゃないかって思ったの」
「そんなことは」
「本当に?鞠莉さんは善子ちゃんの気持ちを汲んで引いてくれたけど、そうじゃなかったら?鞠莉さんが諦めずにずっと泣いていたら?…………それでも善子ちゃんは選ばない?」
ぐっと言葉に詰まった。そんなことはないと言い切れなかった。
痛みしか伴わなくても、それでも好きだから。
笑っていて欲しかった。それが望みだった。
もしもマリーがあのまま私を望み続けたらずら丸の言う通り、最終的にはマリーの側にいることを選んだかもしれないわね。
それがお互いのためにならないと分かっていても。
「ほら。だから善子ちゃんには他に目を向けさせなきゃいけないって、最後の最後で踏み止まれるようにしなきゃって」
私の考えなんてお見通しだと言いたげな顔で肩を竦める。
「梨子ちゃんには申し訳ないけど、本当は誰でも良かった。善子ちゃんの心を動かしたのが梨子ちゃんだったから、梨子ちゃんだけが動かしたから手助けした。運命の相手だっていうのもお誂え向きだとも思ったよ」
沈んだ声で語られるずら丸の心境に、口を挟むことも出来ずにただ聞き入る。
「少しずつ善子ちゃんも自分から動いていった。それをダイヤさんに話せば近いうちに必ず鞠莉さんは帰ってくる。だからそれまでに善子ちゃんの心を梨子ちゃんに傾けさせたかった。………まさかこんなに早く帰ってくるとは思わなかったけど」
自嘲めいた笑みを浮かべるずら丸はわずかに泣きそうな目をしながらまたごめんなさい、と小さく告げた。
「軽蔑したでしょ。善子ちゃんの気持ちを知ってても何も言わなかった。善子ちゃんのためと言いながら梨子ちゃんを利用した。酷いよね、こんなの」
そこまで話すと俯いてしまったずら丸に先程土下座された時のような気持ちになる。
うん、どうしようか、これ。
表情は見えないけど膝の上でギュッと力いっぱい握りしめられた手がずら丸の気持ちを表してるのは分かる。
はあ、と多少大袈裟についたため息の音に縮こまるのを見て、困った幼なじみだと思う。
ここまで私のこと分かってるくせに、なんでこんなことが分からないのか。
「あのねえ、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ。軽蔑?そんなもんするわけないでしょうが」
そんなもんするわけがない。
ずら丸の行動は全部が全部、私のためだ。
私のことを心配してなんとかしようとして、そうして動いてくれていた。
私のためにここまで心を砕いてくれた人に軽蔑とかありえないでしょ。
土下座どころか五体投地で拝まなきゃいけないレベルでしょ、これ。
「あんたに対してはものすごい申し訳なさと溢れんばかりの感謝と返さなきゃいけない恩しかないわよ。負い目なんて感じてないで私に無茶ぶりしてくるくらいしなさいよ。『善子ちゃんには苦労掛けさせられたずら~』とか言って呆れた顔で私のこと弄りなさいよ。食い倒れツアーくらい企画させなさいよ」
ガバッと顔を上げたずら丸の目には今にも決壊しそうな涙の粒。
驚きに満ちたその顔になんでこんなことが分からないのかと改めて思う。
「あんたにはずっと助けられてきたわ。心配してくれていたことも嬉しかった。…………さっきも言ったけどね、今まで本当にありがとう、ずら丸。あんたがいてくれて良かったって思ってる」
「よ、よ゛し゛こ゛ち゛ゃぁぁぁぁんっ!!」
とうとうずら丸の堤防が決壊した。
ぼたぼたと流れる涙を慌てて拭うけど後から後から尽きることなく溢れるそれを見てどこまで心労を掛けていたのか、と本気で食い倒れツアー決行を考える。もちろんルビィ込みで。
答合わせはこれにて完了。
次にするべきはいろいろあるけれど。
まずはこの優しい幼なじみを泣き止ませなきゃいけない所からスタートしよう。
「いつまで引きこもっているんですの?」
大きなベッドのど真ん中でシーツと同化して山と化している幼なじみに声を掛ける。
引きこもって出てこないと困り果てたホテルの従業員からのSOSを受けてやって来た私は勝手知ったるとばかりに部屋の主の許可も無しに部屋に入る。
「仕事はちゃんとしてるわよ………」
シーツの中からくぐもった声。いつもらしからぬ覇気のない声。
その点に関しては心配はしていない。メールだってなんだってあるのだし、ここに来る前にある程度は片付けて数日は自分がいなくてもいいようにしてきているはずだから。
それでも上がってくる報告に目を通し、それに対する返事をするくらいの仕事はしているようだ。
それにしてもここまでポキリと折れた鞠莉さんを見るのは随分と久しぶりな気がする。
前回の時は昔も昔、鞠莉さんが日本を離れる直前の時。……………善子さんと別れさせられた時だ。
ざっと部屋を見回せばベッド脇に食事のトレー。一応は食べているようで一安心する。
これで食べてなかったら無理にでも口に突っ込んだだろう。
来てはみたものの、実の所掛けるべき言葉をいまだ見つけられていない。
残念でしたね、などと傷口に塩をなすりつける真似は出来るわけがないが、善子さんに言ったようにつけ込むにしてもタイミングがあると思う。
さてどうしたものかと思案していればシーツの山がモゾリと動き、背を向けていた(と思う)鞠莉さんがこちらに向き直った。まだシーツは被ったまま顔を見せないのですけど。
「ねえ、ダイヤ………」
「何でしょうか?」
「私、何を間違えたのかなぁ……」
「…………それは、私には分かりかねますが」
事の正否など他人が勝手に言って良いものじゃない。当人達の気持ちや事情を無視した、無遠慮で無責任なものでよければいくらでも言えるのでしょうけど、それを正しいと受け入れられるかは微妙な所でしょう。
ただ、それを踏まえた上で私が言うのであれば二人が間違っていたと思う所はただ一つ。
終わりを受け入れ、終わりに固執した所ではないかと思うのです。
あくまでもこれは私の意見であって、他の人であればまた違う意見も出てくると思うけれど。
『終わり』は二人の中で予定されたものでした。
避けられぬ別れを受け入れ、それ故に悔いのない終わりを迎えることを目標にしていた感じですし、それは多分二人が思うよりも強固に心を縛っていたようでした。
二人の望む終わりを迎え入れる事が出来ていたら、そもそも二人が終わりを望まなかったなら、また別の未来もあったかもしれません。
Ωであっても優秀な鞠莉さんと、本人がαであることを忌避しているせいでその能力が発揮されなかった善子さん。二人が組めば終わりもひっくり返せたかもしれませんが、今はもう言ってもどうしようもない過去の事。
もう決着はついてしまいました。
善子さんは鞠莉さんへの想い故に、終わらせる事を選んだ。
善子さんは歪んだと言っているそれは私からしてみればただ脆くなっただけで十二分に綺麗だと思うものですが、それがいずれお互いを傷付けると理解している善子さんは自分のため、そして鞠莉さんのために終わらせた。
先に進むために。
「………最初はαのくせにβの問題児なんて呼ばれてる子がいるって興味本位で会いに行って、会ってみれば第二性のせいで息苦しそうなあの子が自分と似てるなって親近感を覚えたの。あの子を笑わせてあげられれば少しは私も救われるんじゃないかって、そんな気持ちだった。でも」
「関わっていくうちに、いつの間にか貴女は彼女に惹かれていた。問題児なんて実際の所教師達が言っているだけで、善子さんは優しくて相手を気遣える良い子でしたから。多少言動は奇抜な所があっても生徒達からの評価は悪くなかった」
「ほんと、いつの間に好きになっちゃってたんだろ。あの子の側は居心地が良かったわ。気を抜くと全部委ねたくなっちゃうくらい。側に居たくて側に居てほしくて、随分と振り回しちゃった」
シーツの中から楽しそうな声が笑う。
でもその声のトーンがガクッと落ちて、苦しげなものに変わる。
「………でも、私の未来は決まっていた」
「元々高校も向こうで通うことを望まれてましたものね」
「そうね。ゴネにゴネて高校までは日本にいられたけど、そのあとは向こうに戻って両親が決めたαと番になる事が決められていた。だから善子には何も言わないでいるつもりだったのに」
「善子さんも貴女を好きになっていた」
「ビックリしたわよ。そう、としか返せなくて慌てて聞き返して。断るか何も聞かなかった事にするのが一番良いはずなのに、あの子の諦めた凪いだ瞳を見てたらギューッってなっちゃって、酷い提案をしちゃった」
シーツの山がぺしゃりと潰れた。
「本当に本当に、好きだったの。あの子のこと」
「ならば何故、善子さんとお別れをしたんですの?」
「………………………………………………好きな人を苦しめたいわけじゃないもの」
「そうですか」
もぞもぞとシーツの丘が動き、裾から顔だけが出てきた。泣き腫らして目が真っ赤で痛々しい。
「ごめんね、ダイヤ。ダイヤにも散々手伝って貰ったのに」
「構いませんよ。…………実はうまくいかなければいいのにと思っていましたから」
「……は?」
目を丸くして何を言われたのか分かっていない様子の鞠莉さんに苦笑いが浮かぶ。
「頭が良いくせに鈍いですよね、鞠莉さん。私が今までどんな気持ちで貴女と居たか、貴女は全く気付いてくださらなかった」
「え、あの、ダイヤ?」
「いつだって貴女は別の人ばかりを見ていた。それがどれくらい歯痒かったか、貴女に分かりますか?」
「あの、ちょっと?」
ぱちぱちと目をしばたかせる鞠莉さんに、ああこれは届いていないと、全部全部ぶちまけてしまおうと思って、実行する。
「貴女が他の誰かを見る度に胸が掻きむしられるような痛みを覚えます。どうしたら私の想いは貴女に伝わるのでしょうね?どうしたら貴女は私を見てくれるのでしょうね?この心の中を全て見せられたらいいのに。………いっそのことどこかに閉じ込めてしまえばと何度考えたかしれません。ああ、そうしたら似合いの首輪でもしつらえましょうか。貴女にはどんな色が似合うでしょうね?」
「あの、ダイヤ?」
「ええ、何でしょうか。鞠莉さん?」
シーツに包まったまま体を起こした鞠莉さんが信じられないものを見る目で私を見てくる。
「あの、もしかして、なんだけど」
「はい」
「わたしのこと、すき、なの?」
「ええ。恋愛的な意味合いで」
「はあああああ!?」
素晴らしい大音量ですわね。元気そうで何よりです。
こちらを見て口をぱくぱくさせる鞠莉さんの慌てっぷりに笑いが込み上げてきてしまう。
「なっ、なんで今それを言うの!?」
「ずっとずっと貴女が幸せになるならと思ってきましたが、肝心の貴女がちっとも幸せになってくださらないので、これはもう私が幸せにするしかないかと思いまして」
「いや私善子とはお別れしたけどまだ吹っ切れたわけじゃないんだけど!?」
「勿論存じております。今すぐどうこうなどと馬鹿な事は言いませんわ。ですがこうなった以上、もう遠慮も自重もしないでおこうと決めたので、一応言っておこうかと」
「えええ~………」
いい感じに困惑している鞠莉さんは段々といつもの調子に戻り始めているようだ。
とりあえず今はそれだけで良しとしておきましょうか。
ベッドに上がり、困惑から抜け出せていない鞠莉さんの額にそっと唇を落とす。
「貴女には幸せになってほしいのです。けれど貴女を幸せにするのが他の誰でもなく私であるのなら、それは私にとって至上の喜びだから。だから今すぐとは言わないけど、どうか私の手を取ってください。貴女と生きていきたいのです」
金色の瞳が私を捉える。
そこに映る私の顔はいつも通りに出来ているようだ。
内心は破裂しそうな心臓を抱えているのですけど。
「さて、まずは顔を洗ってきたらどうですか?目も腫れていますし、すっきりしたら散歩でもしましょう。貴女、全然外に出ていないでしょう?気分転換しないと。…それからお茶でもしながらゆっくりとお話しましょう」
手を差し伸べれば躊躇いながらも手を重ねられた。
エスコートでもするように手を引けばおとなしく付いてきてくれる。
何かするつもりはないのですが、告白した相手に不用心じゃないのかとも思う。
信頼を得ているのは分かりますが、欲しいのは愛情なのです。
さて、どう落としてくれようか。
まずはうんと優しくしてあげましょうか。ゆっくりと心を溶かすように、甘く甘く。
それが染み込んで、私がいつか貴女の心を占めるように。
狡い大人と言う勿れ。
焦がれ続けた欲しいものに、ようやく手が届きそうなのだから。
「卒業、おめでとう」
「ありがとうございます」
目の前に立つのは卒業証書の入った筒を手にした桜内さん。
今日は卒業式だ。
あれから私に起こった出来事は特筆すべきものでもない。
ありふれた日常を繰り返しただけ。
変わったのは、桜内さんと恋人になったくらい?
桜内さんとのこともまあ、特別なことがあったわけでもない。
そこら辺に溢れているラブストーリー。よくある話で占められているそれは何のネタにもならない普通の物語。あるあるネタで共感は出来るかもしれないけどね。
無事卒業した彼女は4月から東京の音大に通う。
だけど周期の関係で番になるのは4月の終わりくらいになりそうだ。
前回の発情期に噛んでくれれば良かったのに、と桜内さんは不満たらたらだったけど養護教諭とはいえ学校関係者が生徒噛んだらまずいでしょ、の私の言葉にしぶしぶ引き下がった。
引き下がりはしたけど、時々ブツブツと言ってくるのよね。
「せっかく卒業したのに番にまだなれないし、東京と静岡で離れ離れになるんですよ?言いたくもなりますよ」
「世間に知られたら皆が安心して保健室来れなくなるでしょうが」
養護教諭がβやΩだけならともかく、私と同じくαの養護教諭だっているんだから風評被害を与えるのは避けたい。
「だいたい日々常々卒業してからにしなさいとも言ってたでしょ、私。いくらαとΩのことでも少数は悪意垂れ流すんだから面倒は避けないと」
生徒同士ならそこまで言われなくてもそれが教師と生徒となると途端に騒ぐアホがいるんだから。恋人になったのも若干アウトだけど、することはしてるからいまさら感が強いけど、それでも番を守るためには当然の処置よね。
「もういっそのこと先生のお嫁さんになりたい」
「番すっ飛ばしてそれ?…まあ、いつでも来てくれて構わないけど」
番登録の書類と婚姻届を出す順番が変わるだけだからどちらが先でもたいして差はない。
だからそう言ってみたけどキラッキラの目を向けられて、さらに詰め寄られた。
「良いんですか!?」
「良いけど、今から式の準備とかしてもきっと番になる方が先のような気がするわね?」
番になるための挨拶には行ったけど結婚の話はまだしてなかったから桜内さんのご両親にまた話をしに行かないといけないし、式場の予約やら新居の選定やらその他諸々。時間なんてあっという間に過ぎて番になる方が早い気がする。
指折り数えていけば桜内さんががっくりと肩を落とした。
そもそも指輪も買ってないしプロポーズもしていない。
そこら辺はちゃんとしたいのでもうちょっと待ってほしいのが本音だったりする。
「でももうすぐ離れ離れですよ~…。これで心置きなくイチャイチャ出来ると思ったのにぃ……」
今までイチャイチャしてなかったわけじゃないのに、あれ以上にイチャイチャしろと?
保健室や音楽室で、最後まではしなかったけどキスとかしまくってたわよね?休みの日とかデートやら私の家でエッチなこととかしてたけど、あれ以上?
「大手を振って先生のこと恋人だ番だって言えるようになったんだし、外でも問題なく甘えられるっていうのにぃ……」
確かに外だと腕を組む所か手もなかなか繋がなかったけど気にしてたのかしら。
「ほぼ毎日会えてたのが会えなくなるんですよ?先生も東京で暮らしません?………って、お仕事あるから無理ですよね~……」
はああ~、とせっかくのめでたい卒業式の日に似つかわしくないため息をつく桜内さんに、卒業したしもういいかとネタばらしをすることにした。
「4月になったら私も東京行くわよ?」
「へ?」
「だから、4月になったら私も東京行くわよ?」
「はあ!?」
桜内さんが東京の音大を受験すると知った時から準備は進めていたのだ。桜内さんのお母様を巻き込んで。
番になるんだし発情期のこともある。別に沼津から離れられない事情もない。
すでに浦の星の方には言ってあるし、新しい養護教諭が4月から来る予定だ。
「住む所は桜内さんのお母様協力のもと二人で住める間取りでセキュリティと防音のしっかりした所を選んだから心配はいらないわよ?」
「お仕事は?」
「養護教諭の空きがないからまだ見つかってないけど内緒の副業の方で稼がせて貰ってるから問題はないし、余裕で桜内さんを養えるくらいの蓄えはあるわよ」
桜内さんの大学の費用を賄っても全然大丈夫なくらいにはあるが、それは桜内さんのご両親からは遠慮されてしまった。その代わり生活面ではすべて私が賄うことにしている。
「副業なんてしてたんですか?」
「ええ。ずら丸と、あと数人くらいしか知らないんだけどね。他の人に知られると煩くなりそうだし桜内さんも内緒にしてほしいんだけど」
机の引き出しから取り出した物を桜内さんに手渡す。
昨日ずら丸から届けられた物。真新しい紙の匂いがするそれ。
それを一瞥した桜内さんの目がくわっと見開かれる。
「せ、先生!これって!」
「今度出る新刊ね」
ハードカバーの本。それを手にした桜内さんがプルプルと震える。
まだ発売前の新本。
その本の作者名には『夜羽』と記されている。
そう。『よはね』だ。
自らを堕天使ヨハネと名乗っていた高校時代。黒歴史とも言えるそれをペンネームにしたのは気付いてくれるかと思ったから。元気でやっていると伝えたかったから。
誰にと言われれば遠く離れた所にいた某金髪の人にだが。
「先生が、夜羽先生だったんですか……?」
「ジャンル節操なしの物書き夜羽。それが私の副業。………内緒にしてね?」
私は顔出しはしていないし、これからもするつもりはないので人差し指を立てて唇の前に持ってくると桜内さんがものすごい勢いで首を縦に振る。首、痛めないかしらと思うくらいの勢いだ。
「サインくださいっ!」
手にした本をずいっと差し出される。そう言えばファンだと言ってくれていたっけ。
差し出された本を見ながら、別に書くのは問題ないけれどちょっとだけ思案する振りをして、それから桜内さんの耳元に唇を寄せた。
「書くのは構わないけど、婚姻届へのサインの方が先じゃないかしら?」
そう囁けば耳を押さえた桜内さんが真っ赤な顔で後ろに飛びのいた。
パクパクと口が動くけどそこからは何の言葉も出てこない。
普段は押せ押せなくせに、ちょっとこっちがぐいぐいいくとおとなしくなるのが可愛い。
くすくす笑えばからかわれたと思ったのか、むすっとした顔で睨んでくる。
別にからかったつもりはないけれど、睨むというより拗ねた顔の桜内さんが可愛いからこれはこれでいいかと思う。
「だからっ、そういうとこですよ、先生っ!」
毎回思うけど、何がそういうとこなのかが分からない。
4月になれば新しい生活が始まる。
一昨年の4月には思いも寄らなかった、新しい始まり。
マリーとダイヤさんは徐々に距離を詰めていっているようだ。
まだ番になっていないがそれも時間の問題だろう。
強いけど寂しがりなマリーがダイヤさんにほだされる日は近いんじゃないかと思う。
その時は心からの祝福を贈ろうと思う。
結婚式にはぼろ泣きする自信があるけど。
「これからは私が先生を幸せにしてみせます!」
なんて頼もしい宣言をしてくれる桜内さん。
「今でも十分幸せだけどね」
「もっと、もーっとですよ!」
第二性の告げる運命なんて信じてないし、どうでもいいけれど。
桜内さんと出会った(再会した?)ことで歯車が回りだし、新しいスタートを切るきっかけになったというのなら。
それは運命と呼んでも良いのかもしれないわね。きっと。
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