みつば
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8069086
曜ちゃんは私のことが好きなのでは? とうたぐる千歌ちゃんが、
あの手この手で本音をさぐり出そうとするお話。
千歌ちゃん視点のようちかです。
曜ちゃんはぴば~! 遅れちゃってごめんね。
千歌ちゃんといつまでも幸せでいてねっていう気持ちをいっぱい込めました!
いつもなかなかお礼を申し上げる機会が無いのですが、
読んでくださっている皆様、タグ付けをしてくださっている方々、本当にありがとうございます……!
少しでもようちかちゃんの世界を楽しむお手伝いができていましたら、とても幸せです……。
「ちかちゃーん!」
声が聞こえた気がして顔を上げても、そこには小さな子供たちしかいない。
こういうの、ノスタルジー、って言うんだっけ。
沼津にあるスイミングクラブの入口、あの子を待って、ただ立っているだけの時間。
それだけのことがたまらなく懐かしくて、不思議に心が満たされる。
あの頃もたまにこうしてた。
お買い物帰りの志満姉にせがんで、あの子はどんな顔するかなって悪戯な気持ちで待ちぼうけてた。
志満姉はとっくに家事を手伝ってて、待った時間だけ帰ってからが忙しくなるわけで、
なるべく早く帰りたかったはずなのにいつもニコニコしてくれてたな。
今でもそうだね。
いつだって優しい、私の自慢のお姉ちゃん、その一。
帰りのバスではあの子が降りるまで一杯お喋りして、最後はブザーの早押し勝負。
通算は引き分けだったかな? いつもそうだった気がする。あの子と私は引き分けが多かった。
きっとあの子は、引き分けで終わるのが一番好きだったんだな。
でも、いつだったか一緒に美渡姉がいた時があって。
私も混ぜてよってニヤリと笑った美渡姉は、大人げなく真っ先にブザーを押したんだよね、まったく。
まあ一応自慢のお姉ちゃん、その二……かな?
美渡姉はふざけてやったんだろうけど、あの時のあの子の顔、覚えてる。
私たちはいつも引き分けだったから知らなかった。
すごく悔しそうな顔。本気で頑張って、本気で負けてしまった人の顔。
こんな顔、するんだなって。
なぜか凄く気になったのまで、はっきりと覚えてるんだ。
「あー! Aqoursのちかちゃんだ!」
「ちょーかわいいー!」
プールの匂いをさせた子供たちが私の前を通り過ぎようとして、不意に立ち止まった。
え、え? 思いも寄らない出来事に、私の方は目がしろくろ。
「みんな私のこと知ってるの?」
「しってるー!」
「クラスですごくにんきあるんだよ!」
えええ。あの子に会いに来ただけなのに、思っても見なかった洗礼でにへらと頬が弛む。
中高生に声かけられることはあったけど、子供たちは初めて。
かわいいだって! 照れちゃうなぁ、えへへ。
「ほんものもルビィちゃんのつぎにかわいいねー!」
「うん! ルビィちゃんとヨハネちゃんのつぎにかわいいー! サインください!」
「……こっちに一列に並んでね。」
盛り上がってたのも束の間、微妙な褒め言葉でしおしおとトーンダウン。
これで悪気が無いんだから子供ってやつは……。
ばいばいと苦笑しながら、タオルをかけたままの後ろ姿を見送る。
結局行くことのなかったあちら側の世界。
いつだって眩しかった。
水泳帰りの子たちはみんな晴れやかな顔をしていて、
クラブの子でもない私がその中に混じるのはなんだか気が引けて、
ちょっと遠巻きの場所からあれがそうかな、あっちの子かなって、あの子の顔を捜してた。
連絡も無く押しかけたって、私の知らない友達に囲まれていたって、
まだこっちが見つけてないくらい遠いうちから私に気付いてくれたあの子。
いつも私の名前を呼んで、満面の笑顔で駆けてきてくれて、私はあの瞬間がたまらなく好きだった。
あの頃からあの子は、きらきらときらめいていたっけ……。
そしてあの子が姿を現した。うん、間違いない。今日は私の方が先に見つけたぞ。
ちょっとズルだけど、子供たちの中で一人だけ大人だからすぐ分かっちゃった。
いっぱいの子供にじゃれつかれるあの子は、やっぱり今日もヒーローだったらしい。
ヒーローがこっちを向いて、目が合った。
ああ、やっぱり、この瞬間。
「千歌ちゃん!!」
そこに大人はいなくなって、あの子の顔にぱぁっと屈託ない花が咲いた。
タイムスリップしたような感覚。
短い階段をもどかしそうに下りるあの子に、私もあの頃と同じ言葉をかけた。
「おかえり、曜ちゃん。」
曜ちゃんが泣いたあの夜、私の中で小さな改革が起きたの。
どうして泣いてたの? 聞いても曜ちゃんは答えてくれなくて、
涙の理由なんて言えないものばかりだよねって、私も深くは聞かなかった。
その代わり、あの夜から考えるようになったんだ。
曜ちゃんのこと。
あまりにも当たり前になりすぎて、私の一部になりすぎて、
いつの間にか曜ちゃんのこと深く考えなくなってたな、って気付いた。
十年当たり前にあったものを当たり前じゃなく考えるなんて、何かのきっかけでもないとむつかしい。
曜ちゃんが私にくれるものはいつも「安心」だったからなおさら。
涙が、きっかけになった。
いくらなんでもいきなり泣かれて、何も考えずにいられるわけないじゃん。
あの涙の理由は何かな。
何がつらくて泣いてしまったのかな。
ううん。
そもそも曜ちゃんが苦にするものってなんなんだろう。
私、自分で思ってたほどちゃんと知らないかもしれない。
曜ちゃんって……どういう人なのかな。
そんな風に、ひょっとしたら生まれて初めてってくらい、曜ちゃんのこと真面目に考えてみたんだ。
みんな曜ちゃんのこと、カンペキだって言う。
恥ずかしながら私もそう思ってた。
元気いっぱい明るくて、優しい上に気もきいて、スポーツは万能、飛び込みは日本代表候補。
水泳部とスクールアイドル部を兼部して、衣装製作までこなしちゃう。
とどめにカワイイ!
これじゃあ誰だって凄すぎでしょって思うよ。
カンペキって言いたくもなるよ。
でも、カンペキだなんて言葉に塗り込めたら、いけなかったんだな。
結果だけを見て「この子が渡辺曜ちゃんです」じゃいけなかったんだ。
少なくとも、私はそれじゃダメ。
楽しいこと全部やりたいだけだよ、って曜ちゃんは笑う。
何がそんなに楽しいの?
どうしてそんなに頑張れるの?
いっぱい考えた。
私バカ曜だ、って曜ちゃんは泣いた。
どうしていきなり泣き出したの?
どうして私は聞いてあげられなかったのかなぁ。
いっぱい、いっぱい、考えたよ。
簡単には分からない疑問ばかり。
でもその一つ一つから逃げないで、ちゃんとあの子のこと、考えてみたんだ。
そしたら。
そしたらね……。
「曜ちゃんって、私のことが……好き?」
「……。」
「……。」
「……。」
しーん。幽霊さんいらっしゃい。
えへっと乙女度全開で放った私の呟きは、誰にもキャッチされることなく明後日の方向に消えてった。
「急な沈黙なーしー! なんでさ! 今までみんなガヤガヤしてたじゃん!!」
「いえ……急になんですのこやつと思いましたので……。」
「あれで好意的じゃなかったら、曜のディクショナリーに情けというフレーズは存在しないわよね。」
「喧嘩でもしちゃったずら?」
そういうのじゃなーくーてー! それは部室でうだうだしていた時のこと。
当の曜ちゃんは泳ぎに行っちゃってお休み。
みんなで動画コメントや○ineQを眺めながらAqoursの評判に一喜一憂してたんだけど、
私としてはちょくちょくあるその意見が目についたわけでして。
"曜ちゃんって千歌ちゃんのこと好きだよね"
そう。私、曜ちゃんのこと、ちゃんと考えてみるようになったわけです。
なんであんなに頑張れるの? どうしてあの時泣いてたの?
そしたら、なんとなくと言うか……割と高い確率で合ってるような気がしなくもない的な、
一つの仮説? っぽいナニモノかが導き出されたわけです。
曜ちゃんは、千歌のことが。……好き。
なんて言うか、その。……トクベツな、意味で。
じゃないかなぁ、って。っっって!!
自分で考えといて火照った顔を、思わず手で覆う。
わたし恥ずかしい奴かなぁ? 自惚れかなぁ? でも、でも、なんか……可能性ある気する……!
相手は女の子だっていうのに嫌な気はしなかったから困ってしまう。
スクールアイドルを始めてからそういう声いっぱい聞こえてくるわけで、抵抗が薄れてたのかな。
そんな細かいことよりも、私という人間をそこまで好きでいてくれる人がいるっていうことが、
すっごく心に迫ったんだ。感動、なんて一言には、とても閉じ込められないくらいに。
私の人生におけるちょっとした、革命と言ってもいいような出来事だったんだ。
私に心を動かされる人がいる。私を原動力にしてる人がいる。
そう考えたらさ。
世界、すごい、って思ったの。
それはAqoursの喜びに似てる。
人生で欲しいものって、それだな、なんて思ったんだよ。
とは言え早とちり・空回り・独り相撲は私の得意技だから、断定なんてできなくて、
でも一回そう思ったら曜ちゃんが私に向ける笑顔一つ一つがそんな気がしてきて。
こだわりすぎかなって思わないわけじゃない。
深く考えるようなことじゃないのかも。
だけど放り投げちゃうには、あんまり胸がほわわってなることだから……こだわっちゃう。
ひょっとしたら私は今、私が歌詞にしているあの世界の入口に立ってるんじゃないかな、なんて。
"曜ちゃんって千歌ちゃんのこと好きだよね"
ほんとにそう見える?
この人たちにはどのくらいの「好き」に見えてるのかなぁ……。
「えっと、その、だってこんな風に書いてあるから。そうなのかな? って思って。ねえ?」
それとなーくみんなにも水を向けてみる。
みんなの目にもそう見えるなら、いよいよ間違いないもんね。
だけど私、間違いない! って結論が出たとして、どうしたいのかなぁ……?
「ふーん。まあ確かにそうね。曜の中ではまぎれもなく千歌っちがナンバーワン。」
どきり。鞠莉ちゃんか。鞠莉ちゃんにはそう見えてるんだ。
みんなのことを誰よりもよく見てる鞠莉ちゃんが言うなら、もう間違いな……。
「だった、でしょうね。」
……。
うん? どきどきと耳を澄ましていて、なんだか引っかかりを覚える。
思わず顔を見てみれば、鞠莉ちゃんはなんだかむふふんといった雰囲気のしたり顔。
……だった? ええっと。……どうして過去形なんでしょう?
「まあ今はマリーがナンバーワンだけど。」
……。
はい?
「書き込んじゃおっと。多分曜ちゃんが好きなのは鞠莉ちゃんだと思うよ……っと。」
「タイムタイム! 送信すとーーっぷ!! え、えっとぉ。そうなの?
な、なんか話が急すぎないかな? 鞠莉ちゃんはどうしてそう思ったの?」
「別に急じゃないわよ。私、ちょこちょこ曜のデリケートな相談に乗ってあげてるもの。
曜って自分を責めちゃうタイプで、ストレスを人に向けられなくて溜め込んじゃう子でしょ?
自分からは言いだせない人だから、私から聞いてあげなきゃって思って。
いつも元気な子が不意に影のある顔して、そういうのって母性本能にきゅんきゅん来ちゃうのよね。
抱きしめてあげたら甘えちゃってごめんね、なんて言うのよ? トゥー・キュート!!」
「……はい?」
唇を尖らせたと思ったら急にくねくねしたりキャーキャー言ったり、
一人で盛り上がっちゃってる鞠莉ちゃんは置いといて。
ええと。それ、初耳なんですけど? 私、全然相談してもらってませんけど?
「あ、でも……最近ルビィも、あの……結構曜ちゃんと仲良くなれたかな、なんて気がする……かも。」
「……へ?」
「あ、違くって、みんなと張り合う気なんて全然無いの!
でも二人で衣装の話してる時とかルビィの話を一生懸命聞いてくれるし、
無言で衣装を縫ってる時にちらりと目をやったら、横顔いいな、とか、
目ざとく気付いてくれて、ルビィちゃんは本当に頑張り屋だね、なんて言ってくれたりして……
いつも頑張ってる人だからこそ、ルビィのちっちゃい頑張りにも気付いてくれるのかな、なんて……
あ、その、これ何が言いたいのかちっとも分からないね! ごめんなさい!!」
混乱してる所に新手が来た。ルビィちゃんですと?
二人は衣装チームで、二人だけの空気があって、ルビィちゃん的にはそれが大好きだと。
この話題に乗ってきちゃうくらいにはと。……ほえ?
「分からないことないわよ、ルビィ。分かる分かる。
まあ分かっちゃったから言わせてもらうけど、みんなの話を聞いた限りだと、
結局曜が一番リトルデーモンになりたい相手はこのヨハネで間違いないようね!
だって私と曜……しょっちゅうお互いの家に遊びに行ってるもの!
先輩と後輩だっていうのに、ヨハネの魅力の前では威厳も何も無くなってしまうのね、フフ……。」
得意満面善子ちゃん。お互いの家ですと? え、練習の後で? わざわざ??
「母性本能っていうのは、分かるかも。私この前、曜ちゃんに膝枕してってお願いされちゃって。
なんか曜ちゃんって、そうやって甘えてくること多いよね。甘え上手って言うのかな。
恥ずかしいからちょっと、って言ったら捨てられた子犬みたいな目をするんだもの。
結局押し切られちゃって、そしたら曜ちゃんほんとに私の膝の上で寝ちゃって、ふふ……。
したい放題ねって思ったけど、ここまで心を許してくれてるんだぁって、ちょっぴり嬉しかったな。」
頬染め梨子ちゃん。甘えてくることが多い? 曜ちゃんが??
膝枕ときた。私、一度も頼まれたことありませんが???
「それで結局曜ちゃんは誰が好きって書けばいいずら?」
「勿論マリーよ。M・A・R・Y。ミスタイプしないでね♪」
「ヨハネだってば。みんなにバスの中の私たちを見せてあげられないのが残念だわぁ。」
「わ、私はいいかな。だってほら、ここにもう曜ちゃんが好きなのは梨子ちゃんだよ、
って書いてる人いるけど、こんな風に書かれてると結構恥ずかしいんだもん……。」
「じゃんけんで決めるのはどうかなぁ。べ、別にルビィじゃなくてもいいんだけど……。」
そわそわする皆様と、むっふーとV字眉毛の花丸ちゃん。
花丸ちゃんってばインターネットに書き込みしてみたくてウズウズしてるんだ。
読書○ーターを知ったら凄いことになりそうだねえ、あははは……。
……ええっと。
何なのこの状況。なんでこうなっちゃうの~!?
負けじと発作的に口を動かしかけて気付く。
鞠莉ちゃん、善子ちゃん、凄すぎ。
これ、私だと思うよ、なんて自分からは言えないよー!
私のお悩みなんて知るよしもなく、もう違う話題に滑りつつあるみんな。
その輪から離れるように、鞠莉ちゃんがこそこそと身を寄せてきた。
その口元に浮かんだゆる~い笑みが気に入らなくて、つい少しだけ距離を取る。
「やだ、まぜっ返したから気を悪くしちゃった? ジョークジョーク。
あんまり可愛いこと言うから、からかいたくなったのよ。曜のナンバーワンは勿論あ・な・た。」
「……分かんないよ、そんなの。」
「ワッツ?」
「あの子のことなんでも分かるつもりだったけど、私、そう思い込んでるだけだった……かも……。」
「……あらあら。そっか。少し変ねって気になってたんだけど、
最近の千歌っちは、曜のことをちゃんと知りたいって思ってたのか……。」
拗ねた感じが口調に出ちゃって恥ずかしくなる。
ふざけた感じをやめると鞠莉ちゃんの瞳は誰よりも優しくて、私はつい小さく頷き返していた。
誰もこっちを見てないからかな。
なんだか鞠莉ちゃんに甘えたくなって、また少しだけ曜ちゃんのことが分かった気がした。
「フフ。ねぇ千歌っち、いいこと教えてあげようか。私から見た曜もね。
確かにあなたが考えてる意味で、あなたのこと、ダイスキに見えるわ……。」
「はひっ!? きき急に何を言って……。」
「いいからいいから。曜のこといっぱい考えてみたんでしょ?
私のことLOVEなんじゃないかな~って疑ってるわけだ。ワカルー。あいつアヤシーヨネー。」
「……。」
みんなに聞かれてないよねって目を配りながら、またこくこくと首を振る。顔が熱い。
なぜか鞠莉ちゃんが棒読みのカタコトになったのは気になるけど、
私の一人合点じゃなかったんだと少しだけ安心。
「なんで千歌っちがそんな感じなのかもワカルヨー。だって勘違いだったら恥ずかしいもんねぇ。
結局本人にしか分からないこと、ハッキリさせるには聞くしかない。
でも私のことLOVEでしょ! なんて聞いてLIKEっす。って返された日には……
オーノー、カタストロフ! 明日から合わせる顔がミッシング! って感じだもんねぇ。」
「そう! そうなの! そこが困っちゃうの!!」
理解者ができた嬉しさに、つい熱がこもってしまった。
曜ちゃんが私にくれてるものは凄すぎて、とてもLIKEだけじゃ頑張れない気がするの。
だからって、ねぇ曜ちゃん、私のこと愛してる? なんて……聞けるかーい!
これまでそんなこともちゃんと考えてこなかったなんて、我ながら恥ずかしいんだけど……。
「うん、重要な問題ね。誰だってLIKEよりLOVEの方が嬉しいもの。ね?」
「え?」
「違うの? LOVEの方が嬉しいから……LOVEであってほしいんじゃない? 千歌っちは。」
「え……。」
なんか答えなくちゃと思っても、口がパクパクするだけで言葉が出てこない。
だって、だって……えっと。私は、その……?
「フフ。いいわよ、答えなくって。キュートな子はイジメたくなっちゃうのがマリーの悪い癖!
でも乗りかかった船だもの、いち女子としてこのまま見過ごせないわ。
ね、千歌っち。ちょっと探りを入れてみましょうよ。」
「探り?」
「イエス。マリーお姉さんが味方になったからには、ドロブネに乗ったつもりで構えなさい!」
得意げな鞠利ちゃんにそれじゃバッドエンドでしょってジト目を向ける。
絶対冷やかし半分だよ、なんてあんまりな感想を抱いた私だけど、なんでだろう。
最後には鞠莉ちゃんが言うように、頑張ってみようかな、なんてつもりになっていた。
「えっと……鞠莉ちゃん的にはまず小技から……。」
「?? どしたの、ひとりごと。千歌ちゃんがここにいるのって久し振りだね。何の用事?」
わふっと! 鼻をくすぐるプールの匂いと曜ちゃんの声で我に返る。
一瞬の間にまあ随分と物思いに耽ってた気がするよ。
子供たちに別れを告げて、ゆっくり駅まで向かう道すがら。
曜ちゃんは自転車を押してるから無理なんだけど、懐かしさのせいかな。
手、繋ぎたいな、なんて思った。
「その……傘、届けに来たの。曜ちゃん、きっと持ってないだろうなと思って……。」
「え? うん。そりゃまあ……持たないよね。」
きょとんとした顔で空を仰ぐ曜ちゃん。
……。私もどんよりした気分でそれに倣う。
宵闇に染まり始めた、雲一つ無い空。どこからどう見ても晴れです。
だよね。持ちませんよ、これは。
「変な目やめて! 私が家を出た時にはすっごく降りそうだったの!!」
「そすか。」
傘でぺしぺし曜ちゃんをはたきながら神様に恨み節。
予定では、えっ千歌ちゃんこんなとこまで傘持ってきてくれたの……? ってなるはずだったのに!
急な雨なのに傘を持って待っててくれたあの子と相合傘、
私もう気持ち隠せないよ……っていう作戦だったのにぃ!!
「そのために待っててくれたの? なんかごめんね。」
「……それはついでです。ほんとの理由は……。」
「理由は?」
「なんとなく。」
「なんとなくかぁー。」
違う理由を挙げようとして見事に失敗。我ながら泣けてくるノープランぶり。
曜ちゃんは私のこと好きなのかなぁって、調べに来たの!
いっそそう言ってやろうかと思ったら、なんだか笑いがこみ上げた。
私が笑ったからかな。曜ちゃんもにひって笑った。
「なんとなく。いいねそれ。たぶん一番嬉しい理由。」
「でしょ!」
肩でぽすんってぶつかって、調子に乗るなってぶつかり返されて、そんないつもの私たち。
私と曜ちゃんの、慣れ親しんだ優しいペース。
そう、実のところはわざわざ探りに来たんです、曜ちゃんの気持ち。
でも別に、このままだって充分幸せなんだよね。
「あ、忘れてた。あれ買ってたんだ。」
あれ? 小首を傾げて曜ちゃんを見ると、曜ちゃんはカバンからごそごそ何かを取り出した。
「全部食べたらお夕飯入らなくなるから、千歌ちゃん半分おねがい。ねっ。」
そう言って曜ちゃんが差し出したのは、わぁ。あずきモナカだぁ。
また懐かしさに襲われる。そうだ、あの頃もこう言って、曜ちゃんは半分くれたっけ。
あのクラブの中にはアイスの自販機があって、
帰りにご褒美でこれを食べるのが一番楽しみなんだぁって曜ちゃんは笑ってて、
いつもあずきモナカだからよっぽど好きなんだろうなぁって思ってた。
今になって思えば、曜ちゃんがこれを選んでたのは、二人で半分こできるからだよね。
スイミングをしてない私は当然アイス代なんてもらってないわけで、
なのに記憶の中の私はいつもモナカをかじっていて。
曜ちゃんはあの頃から曜ちゃんだったんだ。
あずきモナカに取り掛かった私たちは、しばらく無言のまま歩いた。
話そうと思えばいくらだって話せるんだけど、私と曜ちゃんだから、やらない。
だって、無言の時間も楽しいから。
しないことが楽しいなんてヘンテコな話って思うんだけど、でも実際そうなんだ。
大人は時間の隙間を言葉で埋めようとする。
子供って、違うよね。
話さなくたって、何か不思議なもので時間が満たされてる。
言葉を使わなくたって、繋がっていられるんだ。
私たちが話さなくても楽しい理由って、多分それ。
ずっと一緒に育ってきた私たちの間には、今でもその不思議なものが満ちてるんだ。
私と曜ちゃんだったら、いつだって、言葉なんて要らない時間にできるんだ。
……できたんだけどなぁ。
「?」
「なんでもなぁーい。」
私の視線に気付いたのか、曜ちゃんが目だけで聞いてくる。
私はわざわざ言葉で返す。そうしたくって。
言葉なんて要らない二人のはずだった。
でも。
あの夜、曜ちゃんは、泣いた。
本当に言葉が要らなかったなら、曜ちゃんは泣いたりしないはずだった。
何もかもが繋がっているなら、言わなくたって伝わるはずだった。
伝わらなかったよ。
繋がっていない部分があったから。
言葉で探らなくちゃいけない部分があったんだ。
幼馴染なのに気付いてあげられなかったなぁって思ったけど、違ってた。
幼馴染だからこそ気付けなかったんだ。
だってそれは、子供の頃には無かった部分だから。
全てが繋がってたからこそ、言葉が無くても伝わるからこそ、
大人になって新しい部分が増えてることに、
大人になって出来た場所は大人のやり方で探らないと分からないっていうことに、
気付けなかったんだ。
言葉が無くても通じる二人だったからこそ、
言葉が必要な部分ができたことに、なかなか気付けなかったんだね。
私の知らないその部分に秘められた、何か。
それが曜ちゃんを泣かせた。
悲しいけれど、まだ分からないよ。
ううん。
分かろうとしてなかったね、私。
そのカタチを知るためにはどうしても言葉を使うしかなくて、
それは私たちの関係の上ではちょっと不慣れな作業で、難しいなって思う。
それでも、知りたいな、って思うんだ。
どんなに大変だって、怖くったって、知っておきたいなって思うんだ。
今まで何度も曜ちゃんをがっかりさせてきた。
それなのに、いつだって優しく笑ってくれてた。
好きだよ、曜ちゃんの笑顔。
笑っていてほしいよ。
曜ちゃんのことちゃんと、知っていたいよ。
だから私は手探りする。
言葉は要らないなんて言ってないで、今の曜ちゃんを知ろうと思う。
今日はそのために来たんだよ、なんて。
伝わるように言えないのは、やっぱり不慣れだからかなぁ……。
「千歌ちゃん、千歌ちゃん。」
「うん? 何?」
「何って、バス停だよ。沼津駅。」
いつの間にか駅に着いてた。もちろん帰る気はないんですが、うーむ。
こういう所も値踏みの材料。曜ちゃん、ふつうだな。
私のことが好きなら、もっと名残惜しそうにしてくれてもいいと思うんだけどなぁ?
「……今日は曜ちゃんちの近くのバス停まで歩こうかな。」
「え、ほんと? じゃあ今日は、もう少しだけ一緒にいられるね。」
あ、嬉しそう! 今すっごく嬉しそうな顔した! これはポイント高いかも。
曜ちゃんはこういう所があるから難しいんだよね。
聞き分けがいいって言うか、ほんとはもっと欲しいなって時も表に出さなかったりするから。
家庭環境でそうなったのかな? 私もちゃっかりしてるからザ・末っ子ってよく言われるよ、うん。
ここから曜ちゃんちまで、ゆっくり歩いて二十分くらい。
私がいなかったら自転車に跨ってサーッと帰れちゃうのに、その二十分を嬉しいと思ってくれてる。
深く考えたことなかったけど、そんな人がいてくれるって、いいな。すごくいい。
言葉が無くても楽しい二人。でも言葉があればもっと楽しい。
町を抜けて橋を渡って曜ちゃんの家が見えるまで、他愛の無いお喋りで笑いあう。
時間はあっという間で、私たちはそのバス停へと辿り着いてしまった。
「あーあ、着いちゃった。それじゃ千歌ちゃん、今度こそばいばい……?」
喋りながら曜ちゃんが不思議そうに首を傾げる。さもありなん。
私はと言えば、じー、と曜ちゃんの目を見据えてテレパシーを送り続けてるんだから。
言って曜ちゃん! 曜ちゃんの方から、泊まってく? って切り出して!
鞠莉ちゃんはおっしゃいました。
やっぱり相手の方から動くようにさせないとね、って。
自分から近付けどトリガーは相手に引かせる。
それが大人の女よって、わざわざ伊達メガネをかけて言ってました……!
「あ、千歌ちゃんひょっとして……。」
「!」
「トイレ借りたい?」
がっくり。図星でしょって笑う曜ちゃん。こりゃダメだ。
考えてみれば二人とも、どう見ても大人の女ってやつじゃないし。
しょうがない。秘密兵器を使う時が来たか……。
そう思ってたら、不意に曜ちゃんが微笑んだ。
「……千歌ちゃん、ほんとは何の用事で来たの?」
「え?」
「言いにくいこと?」
優しい聞き方。私は少し呆気に取られてた。分かってたんだ、そこ。
曜ちゃんって、騙されてくれるタイプ。
理由がありそうな嘘は、わざわざ嘘でしょって指摘したりしない。
でも本当は気付いてて、私がこんがらがりそうな時、こうやって助け舟を出してくれるんだよね。
……いけないいけない! 私の方がじんと来ちゃってる!
違います。私は、曜ちゃんの方が私をどう思ってるか、それを確かめに来たんです!
ともあれこれは渡りに船。いいタイミングだから切り出しちゃおう。
「……デートしよ、曜ちゃん。」
「へ?」
「明日、お休みでしょ。久し振りに二人で、デートしないかなぁ……。」
お目々ふるふる、体もじもじ。同じ身長なのにわざと前かがみで上目遣い。
あざとくてやってる私の方が恥ずかしくなってしまうけれど、
もし曜ちゃんが私のことを好きだっていうんなら、これはもう必殺技だよね……?
しかしながら私としては乙女度フルパワーで繰り出したつもりだったこのアタックは、
まったくもって不発に終わった。
「うん、しよしよ。あれ? 話それだけ?」
…………。
がぁっっくぅぅ~~!!
なぁーにぃー、もぉ~、こいつ! 渡辺曜~~!!
リアクションうっす!! かっる!!
しよしよって。何の感動もなく了承されちゃったよ!!
そりゃ私たちの間ではデートなんて普通に言いまくってて、物凄く軽い言葉だけどさ。
友達が使う意味のそれで、恋人のそれじゃないけどさぁ!
千歌ちゃん本当……? 私嬉しい……。みたいな反応を100点としたら、これ10点も行かないよ!?
あらためて自分のやろうとしてることの難しさを思い知ったかたち。
当てにならないな、なんて随分なことを思ってたけど、鞠莉ちゃんの言う通りだった。
こんなの、普通にやってたんじゃどんどん時間が過ぎてくだけだよ。
使うしかない! 秘密兵器を!!
「違うの曜ちゃん。普通のデートじゃないの……。」
「え?」
バッグからすすす、とそれを取り出す。かわいい封筒にハートのシール。
一目でアレだと分かるソレ。
失礼なことに曜ちゃんは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「え? えっと。それって……まさか……?」
「うん。そのまさか……。」
そう。ラブレターです! 偽物だけどね!!
私だとバレないようにわざわざ鞠莉ちゃんに書いてもらった、今回の秘密兵器です!!
楽しくなってきた私は、困ったなぁって目いっぱいしおらしい振りをして、
口元にいかにもな感じで拳なんか当てたりしちゃってる。
うふへへ。分かる、善子ちゃん。小悪魔、気持ちいいかも!
「だからね曜ちゃん、つきあってくれる? ……男の人と、デートする練習に。」
あは。やったぜ。これこれ、これが見たかったんです。
曜ちゃんったら、口をぱくぱくさせるだけで、何の言葉も出てきてない。
私のフルパワーをすかしてくれた報いだよ。
ざまを見るのだ、渡辺曜。
「あ、曜ちゃんコーヒービート好きだったよね。はいあーん。」
「……あーん。」
「もう曜ちゃんったら、機嫌直してってばぁ。これもおうちデートの練習なんだから!
何? 千歌がデートするの、そんなに気になる?」
「そりゃね……。」
ふっふっふ、不機嫌不機嫌。いい兆候だよ!
慣れ親しんだ曜ちゃんのお部屋も今日はピンクな雰囲気、
プチアソートを二人で分けながら、もたれかかるようにぴっとり引っつく。
してることがラブラブならラブラブなほど、心の中は穏やかじゃなくなるはず。
味方ながら恐ろしい作戦だよ鞠莉ちゃん……!
「でもありがとね、曜ちゃん。こんなこと曜ちゃんにしか頼めなくって。」
「……ねぇ千歌ちゃん。私、千歌ちゃんが本当にその気なら応援するけどさ。
本気でその名前も分からない男の人に会ってみるつもり?」
「……へ? え、い、いや、全然決めてないっていうか。まだどんな人かも分からないしね?
ま、まずは曜ちゃんとデートしてみないことには何とも言えないなぁ!
曜ちゃんとデートするより絶対つまらなくなるに決まってるしさ、あはははは。」
「そもそも私が練習台でいいのかなぁ? だって目線も体格も何もかも違うでしょ。
私相手にヒール履いたら、千歌ちゃんは見下ろす視界になっちゃうと思うんだけど。」
「いっ、いいの! えっとそう、ヒール履く必要無いから!
このラブレターくれた人、身長157バスト82ウエスト57ヒップ81なんだって!!
だから身長も体型も曜ちゃんが理想的なの!!!」
「ラブレターにスリーサイズ書いてあんの!? 大丈夫その人!?
大体こんなメルヘンな封筒にハートのシール貼ってくるって、どういう種類の男なの。」
「あ、あはは……よっぽど乙女チックでわがままボディな人なのかねぇ……?」
あばばばば。
うまく行ってると思ってたけど、突っ込まれるとメッキがぼろぼろに剥がれそうでやばい。
すいません、そこまで気が回りませんでした! 勢いで押し切るつもりでしたぁ!
それに私がその気なら応援するですと?
どうなんだろ、その反応は。
もし私のことが好きだっていうなら、この状況でとても応援なんてできないのでは……?
いやいや、本当に好きだからこそ応援するという方向もありうる。
曜ちゃんって、待ってそんな人についてっちゃイヤ、私を見て、っていうタイプじゃないもんね。
千歌ちゃんの幸せのためなら私は涙を飲むわ、よよよ……ってタイプだと思う、なんとなく。
よ、曜ちゃんが私を好きって前提の話だけど……。
「ねえ曜ちゃん、そんな得体の知れない奴のことは忘れようよ。
今は曜ちゃんが私の恋人になりきって! 曜ちゃんは千歌のことが大好きな、明るくて可愛い女の子。
明日は私と曜ちゃんが久し振りにラブラブデート。ほら……喧嘩なんかしてるの勿体無くない……?」
「得体の知れない奴て。」
「いいから! ね、曜ちゃん。曜ちゃんはいま恋人と自分の部屋で二人きりです。
何か言う言葉は無いかなぁ……? 鍋料理っぽくてウインタースポーツっぽい例のあれ……。」
「もうちょいマシな例えは無かったの?」
「いーいーかーらー!」
肩にしなだれかかって、瞳を見上げてその言葉を待つ。
この一言の言い方で、曜ちゃんの気持ちがどんな種類のものか、分かるかもしれないから。
無言で見つめあってると、柄にもなくドキドキしてきた。
曜ちゃん。曜ちゃんは、どうなのかな……。
「……。」
「……。」
「……す……。」
「!」
つい身構える。曜ちゃんの顔、赤い。私も多分真っ赤なんだろうな。
もう曜ちゃんの瞳しか目に入らない。
あれ、私、何がしたくてこんなことしてるんだっけ?
なんか、頭ぐるぐるで、分かんなくなってきた……。
そんな気持ちで、曜ちゃんが言い終わるのを待ってたんだけれど。
「……やめた。」
「……へ?」
「この状況で言うのは、なんか、腹立つ。やめやめ! 言いませんよーだ!」
「……。ええええ!?」
曜ちゃん、やめちゃった。え? えええ?
「え、えっと、やめちゃうの? もう半分くらい言ってたじゃん? あと半分くらい、よくない?」
「よくない。つーん。」
あれ? 結構本気で怒ってる!?
曜ちゃんはぷいと顔を逸らしたまま、こっちを向いてくれない。
どうしよう、流石に小細工がすぎちゃったかな。
で、でも、これに腹を立ててくれるってことは、やっぱり曜ちゃんは私のことを……?
ううん、今は私のことはどうでもいい。
私、曜ちゃんの気持ちを知りたいからって、曜ちゃんの気持ちを無視してた。
謝らなきゃ、ちゃんと。
「違うの、ほんとに……私が浮かれてるのは、男の人とデートしたいからじゃなくて、
こうやって曜ちゃんとふざけるのが楽しいからで、
いま私がデートしたい人がいるとしたら曜ちゃん以外にはありえなくて、
あの、その……うまく言えないんだけど……。」
「うっそーん。」
「うん、曜ちゃんがそう思うのはもっともなんだけど……へ?」
しどろもどろに言葉を探していたのに、ぽか。
顔を上げたら曜ちゃんはとっくにこちらに向き直ってて、にっかり笑って私にげんこを当てていた。
状況についていけない私の頭が、おうむ返しに言葉を紡ぐ。
「う……そ……?」
「そ、ウソ。千歌ちゃんさ、今更私がこれくらいで腹立てるわけないじゃん。
照れ隠しです。恥ずかしすぎただけだよ! いくら練習だって言っても!」
「……照れ隠し。」
「ふふ。やーいこいつ、本気で焦ってんの~。それとね、千歌ちゃん。
バス停でやったようなやつより、今のナチュラルなままの千歌ちゃんの方がさ。
……ずっとずっとあざとくて、可愛かったよ。」
ぼふん。ぼけっとしてたら顔にパウダービーズの感触がして、視界が塞がれた。
慌ててどけてみればそれは曜ちゃんお気に入りのうちっちークッションで、
取り払った向こうには、ちょっと恥ずかしそうに笑う曜ちゃんがいて。
……ええっと。
やられた。やられたーーもぉーーー!!!
あっという間に耳たぶまで真っ赤になっていくのが分かる。
要するにこれ、小悪魔にやられっぱなしでいてくれる曜ちゃんじゃなかったっていう、
ただそれだけのこと! しかもバス停でのやつって! 私そんなにわざとらしかったわけ!?
あーもぉーーー!!!
「バカ曜! おうちデートの練習って言ってるでしょ! ちゃんと協力して!!」
「だってこれが私なんだもん。千歌ちゃん言ってなかった? デートしたいのは私だって。」
「ウインドミル投法!!」
「やめて! うちっちーに罪は無い!!」
にひひと笑う曜ちゃんにクッションを投げつけてささやかにお返しする。
まぁったくもー! やっぱり一筋縄じゃいかないな、この子は!
確かなのはこのシチュを曜ちゃんは割と楽しんでるってことで、ますます真相が分からなくなりそう。
……まあ、キボウテキ観測って奴に基づくとするなら、
さっきの腹立つって言ってた曜ちゃんは、ちょっと本気だったような気がする……かな?
「それじゃ私お風呂入ってくるから。後から来たりしないでね!」
「ヤー!」
ひらひら~と手を振りながら曜ちゃんを見送って、一人ぼっちになった部屋を品定め。
コルクボードは相変わらず私の写真ばっかりみたい。
うーん、やっぱり怪しいよねぇ。
普通に考えたら私を好きだよねぇ、これ。
あ、でも。……よく見たら、子供の頃の写真しか無いな。
白線渡り。大石公園のラベンダー畑。一緒に一等を取った二人三脚。
いつも並んでいた。同じものに夢中になってた。それが当たり前だった頃。
気付いたら胸がしくりと痛んだ。
隣にいたはずの私は、気付けば曜ちゃんの背中ばかり眺めてた。
一緒にできないことが増えてきて、曜ちゃんは、仕方ないねって寂しそうに笑ってた。
なんでも分かるって言いたいけれど、私には曜ちゃんの嘘が、分からない。
曜ちゃんを疑ってかかることが無いから。
曜ちゃんは私にとって、無条件で信じられる人だから。
なりたかったんだ。
私もそういう人になりたかった。
いろんなこと途中で投げ出してきた。
そんな子、信じられるかな。
それでも曜ちゃんは私を信じ続けてくれて、
私はますます曜ちゃんと並べる子にならなきゃなんて思い込んだ。
いっぱい裏切っちゃったね。
この写真は、曜ちゃんがずっと私を信じてくれていた証拠。
裏切っても、裏切っても、いつかこの頃みたいにって。
ずっと一緒のことに夢中になりたかった、って言ってくれた。
曜ちゃんだけじゃないよ。私もそう思ってたんだ。
ごめんね。ずっとありがとう。
十年でできた寂しいを、少しずつでも埋めたいな。
あの夜泣いた曜ちゃんを、分かるようになりたいな。
背中を眺める私はおしまい。
背中を眺める曜ちゃんもおしまい。
だるまさんがころんだはもうおしまぁーい!
くるって一緒に振り向いて、手を繋いで駆けていこうねっ。
……。
まあでも……今夜のところは……。
がちゃり。
「ど~も~。お背中流しに来ました~~。」
「やっぱり来たよ!? 来ないでって言ったじゃん!!」
「私も嫌! って返しましたけど?」
「あれそういう意味だったの!?」
お約束通りお風呂に乱入。まだ体を洗ってる最中ですか。よしよし。
「だって曜ちゃんのこと洗ってあげたくなったんだもん。ほら、おうちデート、おうちデート。」
「最初のデートでどこまで行く気なの!? てか、鍵かけてたはずなんだけど!!」
「あーあれね。あんなの百円玉で一発だよ。」
「空き巣か! 開けられるにしても開けないのがマナーだよ!」
「曜ちゃん曜ちゃん、分かりました。そこまで言われたら仕方がありません。
千歌、自分の体を洗うだけにするね。それなら構わないよね?」
「……え? 自分の体だけ、って……ほんとに?」
「ほんとほんと。ほら、ごしごーし、ごしごーし。」
やりすぎなくらい泡を立てて、体中あわあわにしていく。
半信半疑って感じで私を見守る曜ちゃん。
私も冗談半分、本気半分で、わざと恥じらって言ってみる。
「曜ちゃん……そんなにじっと見られてたら、ちょっと恥ずかしいな……。」
「へ? あ、あー! そうだね、ごめん! 私てっきりさ!」
言い訳しながらあたふたと後ろを向く曜ちゃん。
……向いたね。背中を向けてしまったね?
それこそが私の狙ってたチャンスとも知らずに……!
「気にしないで、もう準備できたから。」
「はい? ……準備?」
ふにゅり。曜ちゃんの首に手を回して、背中にぴっとりくっつく。
あ、やばい。勢いでできると思ってたけど、これ、私の羞恥心の限界超えてる……!
動けないで、しばらくそのまま。
どんどん脈拍が上がってきて、頭が少しぎんぎんする。
ううん。もうここまで来たら、逃げても進んでも恥ずかしいのは一緒。
ヨーソローだよ高海千歌……!
「ち、千歌ちゃん? えっと……何?」
「……い、今からお背中、お流ししま~~す。」
「……へ?」
曜ちゃんの手から、さりげなくスポンジを取り上げて、始める。
にゅるん。にゅるるん。
「へ。はい? …………。え゛え゛え゛え゛え゛!!!???」
とんでもない奇声をあげる曜ちゃんをよそに、上に、下に、ゆっくりと体を動かす。
そうです。これ、人間スポンジとか、そういう感じのやつです!
にゅるん。にゅるるん。にゅるるるん。
……自分でやっておいてなんだけど。
これダメ!! 本当に頭が爆発しそう!!!
ううん、変なこと考えなければいいんだ。私はスポンジ……私はスポンジ……。
「ち゛ち゛ち゛ち゛ち゛か゛ち゛ゃ゛ん゛!? アウト! これめっちゃダメなやつなんだけど!!?」
おおお! いまだかつてない好感触! 曜ちゃん、超うろたえてる!!
さすが鞠莉ちゃん、言ってた通り。
友情かそうじゃないか、一番分かりやすいのはお風呂よ、って!!
この反応は、どう見ても友情じゃないよ!!
……よね?
いや……どうだろう?
……なんか、ちょっとクールに考えてみたら、
こんなことされたら誰でもうろたえるんじゃないかって気が、ひしひしとするような……?
「こんなのどこで覚えたの!? いけません! 曜ちゃん先生は許しませんよ!!」
「でも、お風呂で背中を流してあげるのが最強のおねだりだって雑誌にも……。」
「待って待って待って! おねだりって何!? そんなの読んでるの!? それ一体なんて雑誌!?」
「○n○n。」
「エロ本じゃん!!!」
「そういう記事じゃないよぉ。お父さんの背中を流してあげようみたいな感じでさ。」
「ぱぱぱぱパパのぉ!? ねえ千歌ちゃんこれお父さんにしてないよね!? ね!!??」
「え、ええ? やだなぁ曜ちゃん、流石にこんなこと、男の人にはできないってば。」
「女の人にだってしちゃダメ!!!!」
にゅるりんこ。真っ赤な顔でこちらに向き直った曜ちゃんは、がっしと……
もとい、やっぱりにゅるりと私の肩に手を添えて、ちょっと怖い顔で言った。
「あのね千歌ちゃん。分かってないことないと思うけど。」
「な……なにさ……。」
「千歌ちゃんがやってるのはね。すっっっっっっごく、いやらしーことです!! ダメだよほんと!」
げっふ! こんな大真面目に言われると、自分がとんでもない奴だった気がして本当に効く。
その反動で言い返したくなって、ついつい口を尖らせる。
「しょ、しょれがどうしたんですか? これ、おうちデートなんですけど?
ちょっとくらい渡辺いやらシーパラダイスが開園したとしても、全然おかしくないんですけど???」
「もうこれデートどころじゃないから! A・B・C・D・E・F・G、一気に七つも飛ばしちゃってるから!」
「やだもぉ~曜ちゃん、下ネタぁ~。」
「千歌ちゃんにだけは言われたくないわぃ!! だいたい○n○nて。
あれって美容院で他の雑誌ぜんぶ読んじゃったわー、もうこれしか読むもの残ってないわー、
みたいなポーズで読むものであって、女子高生が堂々と買っていいものじゃないでしょ!?」
「曜ちゃんそんな読み方してるの!? べ、別に私が買ってるわけじゃないってば。
ほら私、一人っ子じゃないじゃん。みで始まってとで終わる名前の人がさぁ……。」
「……あ、あー! そこか! 疑ってごめん。てっきりこいつ勇者かよって思って……。」
「いいんだよ曜ちゃん。……今度うち来た時、一緒にこっそり読む?」
「……うん。」
「ふふふ。もぉ、曜ちゃんったら~~。」
「千歌ちゃんの方がじゃん~~。」
二人で顔を見合わせて、お互いをぐりぐりして笑う。
まったく曜ちゃんってば、かわいい顔してシーパラダイスなんだから。
「まぁその、ぶっつけは怖いから練習が必要って気持ちは分かるんだよ?
でもやっぱりああいうのは、気安く練習するようなものじゃないと思うんだ。」
「そうだよね。じっくりあんなことしてたら、ちょっと変になっちゃうもんね。」
「あ、その、千歌ちゃんが洗ってくれるのは嬉しいんだけどね。もっと普通にさ……。」
「そうだね、普通にしよ。変な感じになる前に、ささっと済ませちゃおう。前も。」
「そうそう、普通が一番。……うん? えっと、千歌ちゃん。……前って……?」
曜ちゃんの言う通り、普通にしなくっちゃね。
……だってさ。
そうでなくちゃこれ、恥ずかしすぎて、心臓が破れちゃうかもしれないもん……。
「えっ、ちょっ、千歌ちゃ……え……? 待って待って待って待って……?」
また曜ちゃんの首に手を回して、ぴとりとくっつく。
頭のぎんぎんがいよいよ酷くって、普通に、普通に、って何度も言い聞かせる。
朦朧としてる頭でも、ひとつだけ確かなこと……あったかい。
さっきよりもずっと、あたたかい気がする。
背中にこうしてた時よりも、ずっと……。
「……ねぇ曜ちゃん。」
「ん?」
「そっち行っていい?」
「だめー。」
「ダメかぁ~。」
もうお休みの時間、真っ暗な部屋で声だけのやり取り。
今日は子供の頃みたいに、同じベッドで眠りたかったんだけどな。
お風呂ですっかり信用を失った私は、いつもより心もち遠ざけられてさえいるのだった。
その節は本当にすいませんでした。
「千歌ちゃん。」
「なぁに?」
「呼んだだけー。」
「呼んだだけかぁ~。」
少しずつ眠くなってきた。どうせ見えないからって、噛み殺さずに大あくび。
「まだ起きてる?」
「起きてるよ~。ふぁーあ……。」
「……千歌ちゃん。」
「呼んだだけ?」
「ううん。」
「違ったかぁ~。なに?」
「私ね。」
「うん。」
「いつかこんな日が来るのかなって思ってた。」
「こんな日?」
「……千歌ちゃんが……誰かのものになる日。」
「え……。」
一瞬話が飲み込めなくて、少し遅れて思い出す。
そうだ、男の人とデートする練習って言ってたんだっけ。
もう半分頭が眠りかけてるみたい。
「初めて会った時からね。」
「うん。」
「千歌ちゃんの背中、好きだった。」
「……ありがとう。」
「置いてかれたくなくて……頑張り癖もついたし。」
「私のおかげ?」
「私のおかげです。」
「ほんとかなぁ……。」
「……ふふっ。」
「え~。なんで笑うの~。」
「千歌ちゃんって、言うほど自分を疑ってないよね。」
「そ? まぁね。それが私のいいところ!」
「ふふ……あのね。
千歌ちゃんといると、今日がいとしい。
頑張っちゃおうかな、なんて思える。
千歌ちゃんが休んだ日は、いつもより頑張れない。
それって凄いことだと思うんだ。」
「……曜ちゃん。」
「もう少しだけさ。」
「うん。」
「……私の千歌ちゃんでいてくれる……?」
「……うん。」
胸が痛かった。
こんなこと言ってもらえるなんて、思ってなかったから。
だましてごめんね、曜ちゃん。
私も曜ちゃんといると、今日がいとしいよ。
頑張っちゃおうかなって思えるよ。
夢を知らなくても毎日を過ごせてたのは。
曜ちゃんのおかげだったのかもしれないね……。
「私ね。」
「うん。」
「千歌ちゃんがいてくれて……幸せだったよ。」
「……。」
「……なんとなく、言いたくなったの。」
「うん……。」
「おやすみ……。」
「……ねぇ曜ちゃん。」
「うん?」
「そっち行っていい?」
「……うん。」
少しだけ効く夜目を頼りに、もぞもぞと隣に這いこむ。
ちょっぴり窮屈。それ以上の安らぎ。
すぐ近くに、とてもいとおしいものがある。
ゆびとゆびが、触れ合った。
ほんの少しだけそれを絡めて、ゆっくりまどろみに落ちていく。
「ちかちゃん。」
なぁに?
「……あしたさ。」
うん。
「デート。」
うん!
「……楽しみだね……。」
……。
そうだね……。
「あの……ひょっとして、Aqoursのちかちゃんですか?」
「はい、そうです。」
「やっぱり! すごい、ほんもの! いつもおうえんしてます!
ちかちゃんがいちばんすきです! その……サインもらえますか……?」
サインの書かれたシール帳を抱えて、嬉しそうに駆けていく女の子。
何度も振り返っては、こちらに手を振ってくれる。
いつかあの子が昔を懐かしむ時、この記憶が宝物になってくれたらいいな。
私にとって、この場所がそうであるように。
私が、私のあの子を待っている、この時間のように。
待ち合わせ。
言い出したのは私。
同じ家から出かけるんだから、わざわざよくやるなって感じなんだけど、デートだもんね。
待ってみたいんだ。
ゆうべあの子と話していて、気付いた。
私とあの子、デートするんだ、って。
友達じゃない意味で。
それなら待ち合わせ、してみたいよ。
あの子が笑顔を見せるのを、今か今かと待ちぼうけたいよ。
だからここ。
私とあの子が初めてデートするなら、待ち合わせはここしかないと思ったんだ。
顔を上げてその建物を見つめる。
スイミングクラブ。
ノスタルジーと、新しい予感が混じりあう。
その時間は、私の宝物だった。
やがて二人は大人になって。
今からあの時間の続きを、始めるんだ。
入口からあの子が現れた。
スカートの裾が風に揺れて、少し恥ずかしそうに抑えた。
うん。かわいい。
絶対スカートじゃなくちゃダメだからね、って口を酸っぱくして言った甲斐があります。
だって、男の人の代わりなんかじゃないからさ。
女の子のきみとデートしたかったから。
靴底もぺたんこ。スカートの二人。おんなのこと、おんなのこ。
胸がどきどきと高鳴ってる。
今日は同時に気がついたね。もう何回めか分からない、引き分け。
そしてあの瞬間が訪れると思ってたんだけど……違ってた。
あの子が、子供じゃない笑顔で笑ったから。
もっと綺麗で、もっとみずみずしくて、もっと胸が苦しくなるような……
そんな笑顔と声で、あの子が言ったんだ。
「千歌ちゃん。待った?」
ああ、定番のセリフ。目を細めれば六角形のハニカムな光。
あの瞬間を超える何かに満たされながら、私もお決まりの言葉を返した。
「ううん、全然。待ってないよ、曜ちゃん。」
降りてきたあの子の指に私の指を絡めて、そして……今日が始まった。
「千歌ちゃん、何したいか決めてるの?」
「うん。」
「じゃあ最初に何する?」
「日本一周!」
「……明日まで待て。」
「なしてさ。」
「一日待てばね、私が寝っ転がったままでも、日本どころか地球を一周できちゃうはずなのだ。」
「そういうのいいですからー。」
「そっくりそのまま返しますからー。」
「なんで~いいじゃん~。富士山行くべさ~、行くべさ~。」
「いやべさ~。」
ふざけながらゆっくりと歩く。今まで何度も手を繋いだことあるのに、気付かなかったな。
こんなに体が近いと、歩きにくい。だからゆっくり歩く。時間がゆっくり流れていく。
それだけで、なんて色々なことに気付くんだろう。
緑はそよ風に揺れていて、離れた川のせせらぎが小さく小さく耳に届いて、
いつも90度くらいだった視界は、今日は180度に開けていて、
その視界を占領するきみは、ほんとに私と同じ目の高さで。
世界ってこんな感じだったんだな。
そこにあるものを今日までよく見てなかったなんて、変な気持ち。
好きな人と、ただなんとなく過ごす。
ただそれだけで世界の何もかもが違って見えるのは……ふしぎだね。
「それで本当のプランは?」
「ばっちり! あのね、ガストでご飯でしょ、ドンキでブラブラして、ゲーセンで遊んで、
ファミマのイートインで一休みして、それから……。」
「何だそのコース! 高校生か!」
「高校生ですー!」
あははは。違うよ、安く済ませようとしたわけじゃないよ? 気合入れて貯金は持ってきたんだよ?
ただ、今日大切なことは、何をするのかじゃないってだけ。
誰とするのかだと思うから。
まあ半分くらい言い訳なんですけど!
のんびりと歩いていたら、曜ちゃんがふと足を止めた。
「どうしたの?」
「……千歌ちゃんさ、あのお店知ってる? 私前から興味あったんだ。」
「え、あそこ? うん、名前だけは。狩野川が見渡せてお洒落だとかなんとか。」
そこはユニークな佇まいで、一階はガレージみたいに抜けていて、二階に噂のカフェがある。
確かにこんな所で川を見ながらランチ食べたら楽しいだろうな。
曜ちゃんはふむ、と頷くと悪戯っぽく笑った。
「ね、千歌ちゃん。あのお店行ってみない?」
「え?」
「女の子なのにカプタンク買ったりして、ガストで気楽に過ごすのもいいけどさ、
今日は思い切ってあそこにチャレンジしてみないかな? ……せっかくのデート、だもん。」
悪戯な表情に、少し恥じらいの赤みが差した。私の胸もことりと鳴る。
やっぱり世界、いつもと違って見える。
うん。そうしよう。成り行き任せのプラン変更。今更ながらに実感が湧いた。
わたし今、デートしてるんだな、って……。
「……結構するね。ち、千歌ちゃんいける?」
「だ、大丈夫! ランチ一回でほぼ二千円かぁ……。」
運良くテラスの眺めのいい席に座れた私たちだけど、ファミレスとは違うお値段に少しだけ気後れ。
うーん、食べてみたいのはこのアボガドバーガーかなぁ。でも……。
「?? なに?」
「う、ううん。なんでもない。」
思わずこそこそ曜ちゃんの方を窺って、気付かれて焦る。
だってこれ、めっちゃ肉! デートでがっつり肉! これってセーフ? 引かれないかなぁ……。
……くす。そんなことを考えてたら、口元に笑みがこぼれた。
変なの。曜ちゃんとご飯食べに来て、今更食べるものに気を遣ってるなんて。
なんだかおかしさがこみ上げてきちゃう。
「千歌ちゃん、これ食べたいんだ? アボガドバーガー。」
「……うん。」
「美味しそうだよね。私もそれがいいと思うな。飲み物どうする?」
「アイスティーにする。」
さすが曜ちゃん、私の迷いを察したのか、先回りして薦めてくれた。
そういうとこやっぱり、きゅんってしちゃうな……。
……って。
あぶないあぶない! 本来の目的を忘れるとこだったよ! と言うか既に半日くらい忘れてた!
そうだ、これは曜ちゃんの気持ちを探るためのデートだった。
私がきゅんきゅんしててどうする!!!
「私アップルパイ頼むから。一緒につつこうね。」
「え、ほんと? わーい! 曜ちゃん大好き!」
やったアップルパイ~。私のアボガドバーガーも、ちょっぴり分けてあげるねっ。
……って。
だーかーらー! しっかりして高海千歌! さっきからどれだけ流されてるの!?
デートを満喫しすぎだよ!!
「わ、迫力! 大丈夫? それ食べたら、おなかぽっこりになっちゃわない?」
「な、なるかも……。」
運ばれてきたのは今にもパテが滴りそうなジューシーなハンバーガー。
普段だったら攻略しがいがある! って喜ぶところなんだけど……。
「……ひょっほよーひゃん。そんあにみあいれよ……。」
「ふふ。だって私、千歌ちゃんがご飯食べてるところ、好きなんだもん。」
本当に信じられない。私、曜ちゃん相手に口元隠したりしてる。
大口開けないで、ぽそぽそ食べたりしちゃってる。
曜ちゃんは微笑みながら私を見つめていて、その表情が、今とても幸せだよって言っていて。
あぁやばい。
デートって、楽しい。
ご飯を食べてるだけだよ? まだご飯を食べてるだけなのに。
それなのにこんなに楽しいよ。
目的があるなんて、忘れちゃいそうだよ……。
「ふ・ふ・ふ♪ ふふっふ~ん♪ なんかさ、ドンキの歌って中毒性あるよね。」
「分かるー。いつの間にか脳に刷り込まれてるよね。」
ドンキをぶらついて遊んで。
「……とんでもないプリクラができてしまったね。」
「ちゅープリじゃなくてアル中プリだねこれは……。」
バカみたいなプリクラ撮って。
「ね、千歌ちゃん、急に思いついたんだけどさ。私、千歌ちゃんとメガネ屋デートしてみたいかも。」
「へー。考えてみたら私、メガネ屋さんって行ったことない。面白そう! いこいこ!」
フリープランで行き先を変えて、本当に楽しい一日が過ぎていく。
メガネ屋さんは駅から離れて曜ちゃんの家に近い方にあるらしくて、
いざ目的のお店に向かってる途中、川沿いのチャペルでウェディングセレモニーに遭遇した。
おりしも新郎新婦がチャペルから出てくる所で、つい野次馬根性で足を止める。
自他共に認める肉体派とはいえ、私らだって女の子。
やっぱりこういうの、憧れちゃう。
ましてさ。
今日はデートで。
隣には曜ちゃんがいて。
笑って。
触れあって。
楽しくて。
見るもの全てが、きらきらしてて。
女の子と女の子なんだけどね。
私、今、曜ちゃんと一緒に、これ……見ていたいな。
「綺麗だなぁ。制服とはちょっと違うけど、ウェディングドレスもいいよね。」
「相変わらずマニア! 曜ちゃんだったらやっぱり、ドレスも自分で作っちゃうんでしょ?
あ、これいい考えかも。ね、曜ちゃん。もしその時が来たら、私のぶんのドレスも作ってね!」
「……。」
んん? 急に静かになった曜ちゃん。
顔を向けてみれば、その目はどこか遠くの方を見つめていて、その目をしたまま呟いた。
「私にできるかなぁ。」
「できるよー! 私、ほんとに着てみたい。ううん、それしかありえない。
いつだって私のキラキラは、曜ちゃんの作ってくれた服と一緒にあったんだもん!」
はた、と。
そこまで言ってから気付いた。
そうだ。考えてみたら、そうだった。
まぶたを閉じれば浮かんでくる、大切な思い出たち。
そこに映る私は、みんなみんな曜ちゃんの作った服を着た私だった。
これ絶対千歌ちゃんに似合うよ。
こうしたら一番かわいい千歌ちゃんになるよ!
楽しそうに描いてきてくれるアイデアは、いつだって私がモデルだった。
唐突に気付いちゃったんだ。
ううん。
ようやく気付けたって言うのが正しいのかも。
ウェディングドレス作って、だなんて。
バカなこと言っちゃった。
普通の人だったらそれは、一世一代の晴れ姿。
その一世一代の輝きのために、スタイリストは自分の魂を注ぎ込んでくれる。
それなら私は、一世一代どころじゃなかったんだ。
全部なんだ。
曜ちゃんが私に作ってくれる服全てが、私にとってのウェディングドレスだったんだ。
いつでも一番素敵な私になるようにって、曜ちゃんの全力を注いで。
私、一体何度、幸せな花嫁になったんだろう。
そんな経験、一体どれだけの人ができるって言うんだろう。
今更そんなこと、気付くなんてさ。
曜ちゃん。
曜ちゃん。
私の背中を預けられる人。
いちいち振り返って確かめたりしなくたって、絶対私を受け止めてくれるって、信じられる人。
曜ちゃんは、私に、そんなにも大きいものをくれていたんだね……。
気付いたせいで心が震えて、言葉がぷっつり出てこなくなって。
黙ってしまった私に、曜ちゃんが向き直った。
「分かった。約束するよ、千歌ちゃん。私、最高のドレスを作る。いつか……。」
……?
曜ちゃんの言葉を待ちながら、何かが気になった。
なんだろ。
なんだろ、この顔。
こっちに向き直った曜ちゃんは、今まで見たことのないような顔をしていて。
それから、静かに微笑んだ。
「いつか、千歌ちゃんが。……お嫁に行く時に。」
「……え?」
なんて言ったか、よく聞こえなかったんだ。だってその時、みんなが一斉に声を上げたから。
どれだけ思い切りのいい人だったのか、新婦さんってばフルスイングでブーケを投げて、
しかもすっぽ抜けの大暴投で、式場の外に飛んでいっちゃったから。
そう、式場の外。
まさに私の頭の上に。
そして私、ソフトボールは大得意。
だからそのブーケ、部外者なのに、私がジャンピングキャッチしちゃったんだよね。
「いやー、どうもどうも。」
歓声と拍手に包まれて、ぺこぺこと頭を下げる。
何事もなく済んだからかもう場の主役は新郎新婦に戻っていて、
私たちはブーケを返しに門の中にこそこそ入った。
「あの、すいませんでした。これ、お返しします。」
「まあまあ、こちらこそありがとうございます。運動がお得意なんですね。」
「いやー、普通です!」
新婦さんのお母さんだったのかな?
頭をかきながら照れ笑いしていると、返したはずのブーケをまた私の手に押し付けてきた。
……えっと?
「あの、よろしかったらこれ、お持ちになってください。」
「……はい?」
「結婚式のブーケって縁起がいいんですよ。次の幸せが、あなたに訪れますようにって。」
「え、その、え? は、はい、それは知っています!
知っているんですけど……私、単なる通りすがりなんですけれど。」
「でも、キャッチなさったのはあなたですから。
それに実は今日いらしてくれた仲間内で、うちの娘が一番遅かったんです、結婚。」
だから戻してくださっても、誰ももらってくれないんですよ。
その人はそう言って、優しそうに笑った。
チャペルから離れながら、ぽかん、とした気持ちで手を見つめる。
やっぱりブーケ。
消えてなくなるはずもなし。
これが狐につままれたような気持ちというやつでしょうか。
なんで私は通りすがっただけの結婚式で、縁もゆかりもない人から、
ブーケなんて貰っちゃってるのでしょうか?
あんまり呆然としてたからかな。隣からくくっ、と笑いを我慢する声がした。
「ふふ。千歌ちゃん、なんて顔してんの! ふふふふ。でも分かる!
なんで? なんできみブーケなんて持ってるの!? あはははは!!」
「……ふふふ。私にだって分かんないよ! 何これ? わらしべ長者? あはははははは!!」
なんだかシュールなおかしさがこみ上げて、二人で声を上げて笑った。
笑い終わったあとで、呟いた。
「結婚したくなっちゃった。」
「……そっか。」
それはブーケのせいだけじゃなかった。
チャペルの外に立っていた時から、ずっと思っていた。
だってようやく気付いたんだよ。
LIKEだって、LOVEだって、どっちだっていい、って。
私を思ってくれる曜ちゃんが……いとしい。
「……このあとどうしよっか。デート。」
ブーケを指差しながら曜ちゃんが言う。
そうだよね。これ持ったままブラブラってのも困っちゃう。
それをちっとも考えてくれなかったあのお母さんを思うと、
また笑いがこみ上げそうになったけど、我慢する。
もうしたいこと決まってて、すぐにでも言いたいから。
たとえブーケを持ってなくても、きっと同じことを言ったはずの、それ。
「あのね。」
「うん。」
曜ちゃんって、きれいな目。そんな風にまっすぐ見つめられたら、もじもじしちゃう。
だってまだまだお日様は元気だし、昨日のお風呂のことだってあるし。
我慢できない子なんだなって思われたらどうしよう、とか変な心配まで浮かんでくるし。
正直ちょっぴり……かなり……すっごく、言い出しにくいんだもん。
夕暮れだったら良かったのにな。
少しは赤さ、隠せたのにな。
どうか神様。
曜ちゃんが私のこと、変な子だって、思いませんように。
「……曜ちゃんのおうち……行きたい……。」
ふ、ふ。
私の息、浅い。
まだ何もしてないのにな。これからなのにな。
部屋のカーテンは締め切られてる。
うちっちーのクッションは後ろを向かされた。
ブーケの横に脱ぎ捨てられた靴下。
曜ちゃんのお母さんはいないんだって。
二人の重みで少したわんだベッド。
ボタン、はずすね。
優しくはだけさせていきながら思う。
曜ちゃんってかわいいな。
みんな、知らないでしょ。
曜ちゃんってこんなに女の子なんだよ。
表情も、仕草も、全部がかわいいんだよ。
ふ、ふ。
これは曜ちゃんの吐息。
曜ちゃんくらいスポーツ好きでも、息が浅くなるんだ。
じゃあ私たち、おんなじだね。
曜ちゃんの指も、私のボタンにかかる。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
……ぜんぶ。
薄暗い天井と、曜ちゃん。
曜ちゃんが、ちかい。ちかづく。
曜ちゃん。曜ちゃん。ようちゃん……。
……?
何かが頬についた。
ぽと。
ぽた。
ぽたぽたぽた。
ぬくもりを持った、水滴のような感触。
え。
これって……涙?
え……?
「曜ちゃん……泣いてるの?」
「……。」
暗くてよく見えないから、目を突いてしまわないように、耳の方から指を滑らせる。
指先が濡れた。
曜ちゃんは、泣いていた。
ひくっ。ひっく。
言葉にしてしまったことが引き金になったのか、曜ちゃんは小さくしゃくりあげ始めた。
思ってもみなかったことに戸惑って、体を起こす。
落ち着かせたくて、両肩に手を添えて、少しショックを受ける。
曜ちゃんって、こんなに華奢だったかな。
私の手の中にいる女の子は、小さくて、脆くて……震えていた。
「やっぱり……できない……。」
「……え?」
「ごめっ、んね……わたし、やっぱり……できない……できなっ、いっ……。」
呆然とする。
曜ちゃんは泣いていた。できない、と言って。
拒絶。
心の中が、急にからっぽになったような感覚。
ろんりりょくとかいうやつが消え失せて、言葉はみんな心のどこかに引っ込んで、
ただ目の前で泣く女の子を見つめるだけの私しか残ってない。
それから、いたみが湧いた。
自分のためのいたみがはんぶん。
のこりはんぶんは、私のだいじなこの子が泣いているから。
そのふたつで、ゆうきができた。
「……どうして?」
ゆうきのおかげで言葉がもどった。あの夜あの子が泣いて決めたこと。
言葉で手探りすることにしたんだったね。
今日はちゃんとやれるかな……。
「いやだった……?」
不思議とやさしい声が出た。
曜ちゃんは手で顔を覆ったまま、ぶんぶんと首を横に振った。
顔が見たくて、これじゃ涙も拭ってあげられないからって、
曜ちゃんの手にそっと私の手を重ねて、下ろさせた。
こんなに暗いのによく見えた。
曜ちゃんの涙、流れてる。まだまだ止まりそうにないね。
「なにが、かなしかったのかなぁ……。」
「……。」
ひたいをくっつけて聞いてみる。やがて曜ちゃんがぽつりと言った。
「……代わりなんだ、って、思ったら。」
「え?」
「男の、人の、代わりなんだって、思ったら……無理だったの……。」
曜ちゃんの顔が悲しそうに歪む。
曜ちゃんの言葉がゆっくり頭に染みこむ。
そして分かり始めた。
ようやく自分がしでかしたことに気付き始めていた。
「ちかちゃんが、すきだよ。今日は本当に幸せすぎて……まるで夢を見てるみたいで。
さっきまで、これは現実なのかな、私の都合のいい想像なんじゃないのかな、なんて思ってた。
千歌ちゃんの目、信じられないほど綺麗で、大きくて。
潤んで、熱を持って、きみがすきだよ、って言っていて。
おかしくなりそうな幸せのてっぺんで……これは練習なんだ、って思い出した。
チャペルで私に、ドレスを作ってね、って言ってたことも。
そしたら。
千歌ちゃんの目が見てるのは、私じゃない、って思ったら……。」
「あ、あ……。」
「……しにたくなったの……。」
涙の落ちる音がする。そんなに激しく泣いている。
悲しすぎて。死にたいなんて思うくらい。
わたしは。わたしは、ばかだ。
「ゆうべのまどろみも。胸の高鳴る待ち合わせも。川べりでの安らぎも。さっきのような時間もぜんぶ。
私は、その知らない誰かに置き換わるんだなって。
いつか私の作ったウェディングドレスで、その人と幸せそうに笑うのかなって、思ったら。
……でき、ない。……わたしには、できっ、ない……。
ごめ、んね……。おうえん、するっ、て、いったのに。ごめっ……ごめん、なさい……。」
胸がつぶれる、というのがどんな感覚なのか知った。
ごめん、だって。
こんな目にあわされて出てきた言葉が、応援できなくて、ごめんね。
知ってたはずなのに。
曜ちゃんはこういう子だって、誰よりも一番よく知ってるのが、私なのに。
曜ちゃんの気持ち、LIKEかLOVEか知りたいの。
何を言ってたんだろう。
わたしって。わたしって。
ほんとのことを言わなくてはいけない。
それなのにとてもこわくて、言葉を出すのがひどくむずかしい。
卑怯なのは分かっているけれど、こわい。
この子に嫌われるのが。この子をもっと傷つけることが。
ゆうきをくれたのは、やっぱりこの子の涙だった。
「私、嘘ついた。」
「……え?」
「ラブレターなんてもらってないの。男の人のことなんて、考えてなかった。」
「……どういうこと……?」
「傘を渡しに来たわけでもないし……恋の相談に来たわけでもない……。」
「……。」
「……曜ちゃんが……。」
「わたし……?」
「曜ちゃんが、私のこと……。」
それは私たちの関係の上では不慣れな作業で、難しさが私を怯ませるけれど。
それでも、伝えなくちゃ。
どんなに大変で、怖くったって。
「どういう意味で好きか……知りたかったの……。」
言った。
怒られる。泣かれる。殴られる。憎まれる。どうされてもしょうがなかった。
私はそれだけのことをした。
なのに。
曜ちゃんはそのどれもしなかった。曜ちゃんは。
「なぁんだぁ。」
くしゃくしゃの泣き顔を歪めて、笑ったんだ。
いたい。胸がいたいよ。
どうしてなの。どうして曜ちゃんは。
そんなに私のことを好きでいてくれるの……?
そんな資格は無いんだけれど、なんだか瞳がぐしっとなって、
手探りでティッシュ箱を掴んで、私と曜ちゃんの顔を拭った。
まず最初に、ごめんね、を言うべきはずなのに。
私の口からは、違う言葉が滔々と流れ出た。
「あのスイミングクラブの入口で、私が待ってたのは曜ちゃんだったよ。」
言葉、言葉、言葉。
「好きって言ってってせがんだのも曜ちゃんだったよ。」
ぜんぜん言葉が足りないよ。
「お風呂で背中を流してあげたかったのも曜ちゃん。」
ずっと言葉が足りなかったよ。
「食べるところを見られて恥ずかしかったのも曜ちゃん。」
言わなくたって沢山のこと分かる二人。
「ブライダルを一緒に見たかったのも曜ちゃんで。」
それなら、言葉も足したら最強じゃん。
「ドレスを一緒に着たかったのも曜ちゃん。」
言わなくても分かるのに、言葉も足したら最強でしょ。
「この部屋で……千歌の気持ちを伝えたかったのも……。」
私たち、誰よりも通じあう二人になれるんだよ。
「ぜんぶぜんぶ……曜ちゃんだよ……。」
だから、聞いてほしいの。
「泣かせちゃって……ごめんね……。」
言葉にできる部分も、言葉にならない部分も、ぜんぶ。
「私ね……。」
ぜんぶぜんぶ、聞いてほしいの。
「……曜ちゃんが……大好きだよ……。」
私たち、たぶん。
ようやく、あの夜から抜け出した。
「……ひっく。」
「……え?」
「う゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛~~~。」
「ええ~!? なんでまた泣くの~~。」
抱き着いてきた曜ちゃんの体はすっかり冷えていて、その体温にいとしさが溢れる。
ごめんね。私、いっつも曜ちゃんを泣かせてるね。
だから教えてね。今から、二人の融点を、教えてね……。
「すき……。」
「うん。」
「すきなの……。」
「うん。」
「ちかちゃんが……だいすきなの……。」
「……うん。」
「すきだよ……。」
「……わたしも……。」
くちづける。くちづける。くちづける。
大人になった私たちのために、そのかたちを知るために、
本当はそれさえどうでもよくて、ただただあなたが好きだから。
ことば、ことば、ことば。
たわいのないことばを、あたまわるいほど繰り返す。
やわらかな世界がおりてくる。
『ちかちゃーーーん!!』
飛び込みを終えたあとの曜ちゃんが、ぶんぶん私に腕を振る。
いつも真っ先に探してくれたね。手を振りあう二人だけの時間。嬉しいけれど、悲しかった。
手を振るということは、遠くにいるということだから。
ここにいる。いま曜ちゃんがここにいる。くすぐったそうに身をよじる。曜ちゃんの手が私に触れる。
ようちゃん。
ずっといっしょだったようちゃん。
ずっとすきでいてくれたようちゃん。
わたしの、ようちゃん。
『ちかちゃんのいちばんすきなにおいってなぁーに?』
富士山のふもと大石公園、一面のラベンダーの中であの子は聞いた。
ん~、やっぱりみかんかなぁ。
私なりに真面目に悩んだのに、曜ちゃんはおかしそうに笑ったっけ。
そのあと恥ずかしそうに言ったよね。
ようのいちばんすきなにおいはね……シロツメクサだよ……って。
私の首に顔をうずめる。くせのある髪の毛が鼻をくすぐる。
あの頃からもう、私を見ていてくれたんだね。
すきだよ。プールのにおいも、きみのにおいも。
『やったやった! わたしたちがいっとう!』
二人で一緒に走った、運動会の日。あの日私たちは、完全に一つだったのに。
いつの間にか随分、ペースがずれちゃってたね。
あぁ、曜ちゃんの瞳が潤んでいる。
ずっとずっと昔から、一途に私を求めてくれている。
私もこの輝きが欲しかった。この瞳になりたかった。もう一度追いつきたかったんだよ。
隣を走って、私の勝ち、君の勝ちって笑いあいたかったんだよ。
追いつけたのかなぁ。それともまだまだかな?
私もう、緩めないよ。曜ちゃんなら、って信じられるから。
だってこの程度じゃまだまだ伝わらないんだよ。
全力で伝えるってそういうことでしょ。
曜ちゃんが全力を出せる子でいたいんだよ。
きみが思い切り生きている時に、一緒にいられる私でいたいんだよ。
『ちかちゃん。』
『ちかちゃん!』
『ちーかーちゃーん!』
もっといっぱい名前を呼んで。いつでも私のそばにいて。
私を原動力にしてくれる。それって私の原動力。
やわらかい。あたたかい。こわれそう。いとおしい。
すきだよ。すきだよ。すきだよ。すきだよ。
分かってたって言いたいの。分かったつもりはこりごりだから。
もう間違いたくないんだよ。
東京から帰ったあの夏の日、私、曜ちゃんの前で泣けなかった。
だって、曜ちゃんがそうだったんだもん。
私の前でだけは笑顔でいようって、ずっと頑張ってくれていた曜ちゃん。
似た者同士だった。
曜ちゃんになりたかった。
そしたら、泣けなかった。
……だけど。
みんなのおかげで泣いて、分かったことがあるんだ。
曜ちゃんはずっとだったんだなって。
いつも笑顔でいてくれた。
私も疑ったことがなかった。
本当はもっと、泣きたい日だってあったよね。
ねえ、曜ちゃん。
みせて、ぜんぶ。
おしえて、何もかも。
そうだよ、知りたかったんだよ。
LOVEとかLIKEとか、それだけじゃないよ。
曜ちゃんっていう人のかたちを、誰よりもちゃんと知りたかったんだよ。
どんなことが悲しいのかな。
どんなことで笑ってくれるのかなって、ちゃんと知っておきたかったんだよ。
すきだよ、曜ちゃん。
曜ちゃんが笑顔じゃないっていうなら、私、いつだって駆けつける。
たとえ世界のどこにいたって、私が必ず駆けつけるんだからね……。
その、せかいが、あつくなって。
世界の片隅で、曜ちゃんが私の名前を呼ぶ。
わたしも、いとしさをこめて、曜ちゃんの名前を呼んだ。
「ちか、このはなすきじゃない……。」
「え? どうして?」
「……ちかのかみかざりといっしょだから……。」
おはなばたけにすわりこんだわたしたち。
ふてくされるわたしを、ようちゃんはフシギそうに見つめてた。
手にもった白い花とわたしのかみかざりを見くらべて、やっぱりフシギそうに言う。
「ちかちゃん。これシロツメクサだよ?」
「そうだよ。シロツメクサってクローバーのことだもん。」
「えー、そうなの? ちかちゃんものしりー!」
「ふふん。」
わたしもこのかみかざりをもらった時にしまねぇからきいただけなんだけど、
ソンケイされるのはうれしいから、だまっておく。
「ほんとだ、はっぱクローバーだ。きづかなかったー。」
ちかくにあるはっぱをしらべながら、ようちゃんが言う。
わたしもハンシャテキにチェックしてしまう。
あーあ。やっぱりぜんぶ、ちがうじゃん。
「わたしシロツメクサすきだけどなぁ。」
クンクンとにおいをかぐようちゃん。
わたしだって、ほんとはきらいじゃない。
でも、いまはぜんぜんすきじゃない。
「どうしてかみかざりといっしょだとすきじゃないの?」
「……みつばだから。」
「???」
りゆうを言っちゃうと、目がすこしじんわりした。
きょうここにきてからずっとさがしてたのに、やっぱりあれは見つからなかった。
「よつばじゃないからきらいなの?」
ようちゃんのことばはスナオだから、わたしもスナオにうなずいた。
ぜんぜんどこにも見つからない。ほんとによつばなんて、あるのかな。
「よつばのクローバーを見つけたら、しあわせになれるって言うでしょ。」
「うん。」
「きょうドッジで男子にまけたあと……おまえはみつばだからかてるわけないって……。
みつばなんてどこにでもいる、よわっちいやつだって……。」
「そんなこと言われたの!?」
わわ。きゅうにようちゃんが目をつりあげたから、わたしのほうがびびっちゃった。
いつもやさしいようちゃんが、こんなかおするのめずらしい。
「言ったのどの男子!? あしたわたしが、ぼっこんぼっこんにとっちめてやるんだから!」
「ぼ、ぼうりょくはよくないよぉ……。」
ようちゃんがケンカしてケガしたりしたら、イヤだし。
でもわたしのためにこんなにおこってくれるのは、うれしい。
「だからわたし、それならよつばを見つけてやるって……
それをかみかざりにしたら、すごいわたしになれるかなって。
でも、さがしてもさがしても、ちっとも見つからなくって、もうイヤになっちゃった。」
「そっかぁ……。」
ほんとはりゆう、それだけじゃない。このかみかざりをバカにされたのがくやしかった。
わたしはこのかみかざりがすきで、おとうさんも、おかあさんも、しまねぇも、
それにいつもイジワルなみとねぇまで、にあってるって言ってくれたのに。
うちのみんなにワルグチを言われたみたいで、すごくすごくくやしかった。
「だからきらい。クローバー、見たくない。」
「んー。ねぇちかちゃん、いいものあげよっか。」
え? いいもの? なんだろって見てみれば、わぁ。すごい!
「シロツメクサのかんむり! すごい、ようちゃんじょうず!」
「えへへ。ちかちゃん、あたまだして。ぜったいにあうよ。」
さっきまでふてくされてたのに、きゅうにウキウキしてきたからタンジュン。
ドキドキしながらまってると、ようちゃんがあたまの上にそのかんむりをのせてくれた。
「かわいー! ちかちゃん、すっごくかわいいよ!!」
「ほんと?」
わたし、どんなふうに見えるんだろ。おひめさまみたいになってるかな?
「あのね、わたしのぶんもつくったんだ。おそろいでかぶってもいい?」
「あ、じゃあこんどはわたしが、ようちゃんのあたまにのせてあげる!」
はずかしそうなようちゃんの手からかんむりをとって、そぉっとあたまにのせてあげる。
うわぁ。ようちゃん、かわいい!
「めちゃくちゃかわいい! ようちゃんもすごくにあってるよー!」
「よかったぁ。わたしワンパクだから、にあわないかなっておもってた。」
「あー、それならわたしも!」
「えへへへ。」
どういうのがかわいいかなって、ふたりでいろいろポーズをとる。
くらかったきもちが、いつのまにかあかるくなっていた。
「ねぇちかちゃん。これ、シロツメクサ。クローバーだよ。いまでもクローバーきらい?」
「あ……。」
ようちゃんはやさしくきいてくれたけど、わたしはまたハンシャテキに下をむいた。
いいきぶんだったのに、イヤなきもちをおもいだしそうになったから。
「……ね、ちかちゃん。こんどはわたしがものしりのばんだよ。
みつばのクローバーのはなことばって、なんでしょぉーか?」
「え? な、なんだろ。ふつう! とか?」
「ぶっぶー。あのね。みつばのクローバーのはなことばは……しあわせ、なんだって。」
「え。……えっと。それ、よつばのクローバーじゃない?」
「ううん。じつはね、みつばのクローバーがそうなんだ。パパが言ってたからまちがいないよ。」
「そうなの?」
ようちゃんのパパはせんちょうさん。あんまりかえってこなくてさびしいけれど、
かえってきたときは、すっごくおもしろいはなしをしてくれるんだって。
「みんなよつばのクローバーをさがすけれど、ほんとはもう、とっくにしあわせをもってるんだって。
みつばのクローバーがいっぱいあってもきづかないように、みんなきづかないだけなんだって。
それって、ちかちゃんみたいだね。」
「え。」
「ちかちゃんは、もうとっくにすてきなおんなのこで。かわいくて。わたしに、ゆうきをくれて。
でもじぶんではきづいてなくて。
いろいろないいところ、いっぱいもってるのに、きづいてないんだ。
わたしはすきだな、みつばのクローバー。にあってるとおもうな、ちかちゃんに。
だってわたしはきづいてるもん。ちかちゃん。わたし、ね……。」
ちかちゃんといっしょにいるだけで、しあわせなんだ。
ようちゃんは、そういってニッコリした。
わたしは、へんだな。
うれしいはずなのに。
なんだかむねが、ムズムズした。
「クローバーって、むちゃくちゃつよいんだよ。ちょっとやそっとじゃまけないはななんだ。
だからクローバーがにあってるちかちゃんも、いちばんステキなはなになるよ!」
「……うん!」
はなにつよいとかよわいとかあるのかなぁ、っておもったら、
ふまれてもみずがなくても、クローバーはキレイにちからづよくさくんだって。
そうだったんだ。
わたし、クローバーがすきになれそうなきがした。
きょうここにくるまえより、ずっとずっとすきになれそうなきがしたんだ。
「あのねちかちゃん。わたし、ほかにもつくったものあるんだ。」
「なぁに。」
「あのね……。」
ようちゃん、もじもじしてる。なにかなってのぞきこんだら、ダメってかくされた。
見せてくれるつもりじゃなかったの、って口をとがらせたら、
そうだった、ってようやくようちゃんは見せてくれた。
「わぁ……これ、ゆびわ?」
「うん。シロツメクサのゆびわ。ねぇちかちゃん。ゆびわって、どのゆびにするかしってる?」
「ううん。」
「あのね、くすりゆびなんだって。はなよめさんはみんな、くすりゆびにしてるんだって。」
「へぇー。ようちゃんもものしりだなぁー。」
「ふふん。ね、ちかちゃん。くすりゆび、かしてくれる?」
「うん!」
わたしのくすりゆびに、そのゆびわがとおされる。ぴったり。かわいい!
「ようちゃんにもつけてあげるね。」
「うん……。」
ようちゃんのくすりゆびに、わたしとおそろいのゆびわがとおる。
かわいいねって言ったら、ようちゃんは、なんだかくすぐったそうなかおでわらった。
「これでわたしたち、およめさんだね。」
「うん!」
わたしはすっかりウキウキして、じぶんのゆびわをながめながらクルクルとはしゃぎまわった。
「ねぇちかちゃん。」
「なぁに?」
「あのね。いまはむりだけど……ちかちゃんが、およめさんになるときはね。
わたし、ちかちゃんにいちばんにあうすてきなドレス、つくってあげるね……。」
「ほんと? じゃあじゃあ、そのときはぜったい、ようちゃんとおそろいね!
やくそく! ゆーびきーりげんまん、うそっこなーしーね……。」
「ん……。」
体を起こしてふぁーあと伸びをする。少し寝ちゃってたみたい。
すずやかな風が、遠慮がちに頬を撫でていく。
わずかに山吹を帯び始めた空は、薄くなだらかなグラデーション。
視線を落とせば、そこは一面のシロツメクサ。
白を果てしなく敷きつめた私たちの花園で、いとしいきみが微笑みかけた。
「ふふ。うたたねしてた? 気持ちよさそうだったよ。」
あぁ。かわいいな。曜ちゃんはかわいい。
こんなに愛情こめて笑いかけてくれる人、いるかな。
思い出したよ。
ずっとずっと昔から、そうしてくれていたんだね。
「いい匂いだね。私、シロツメクサの匂いが一番好き。
この花の匂いがしたら……千歌ちゃんを思い出すから。」
少し青っぽくて、少しハニーが混じった、優しくて甘い香り。
曜ちゃんが、かぐわしそうに目を閉じる。
その顔を眺めてるだけで、こっちまで頬が弛んでくる。
「しあわせ~。」
「私も~。」
曜ちゃんの肩に寄りかかって甘える。曜ちゃんが頬を寄せてくる。
シロツメクサと曜ちゃんの匂いが混じりあって、私の鼻先をくすぐった。
「どんな夢見てたの?」
「んー……。」
曜ちゃんの指先が私の髪をもてあそぶ。
こうされてると気持ち良すぎて、またうつらうつらしてしまいそう。
曜ちゃんはやわらかいな。
曜ちゃんのやわらかさと体温、安心する。
いつまでもこうしてくっついてたいな……。
「私は、三つ葉のクローバーだったなって。」
「三つ葉のクローバー?」
「ん。私、Aqoursに出会うまでは、ここには何もない、なんて思って暮らしてたけれど。
本当は大切なものを、とっくにいっぱい持っていたんだよね。
幸せを、いとしいものを、溢れるくらい持っていたんだ。
それに気付かせてくれたのはAqours。私、Aqoursに会えてよかったな……。」
「そうだね……。」
一番伝えられそうな言葉を選ぶのは、まだ不慣れでやっぱり大変。
でも不思議なんだ。
言葉にすることで、言葉にしなくても伝わる部分、増えた気がするんだ。
なんだか魔法だね。私たち、ほんとに世界で一番通じあえる二人になれるかもね。
だからこれからも、大切なこと、なんでもないこと、たくさんたくさん話そうね。
「曜ちゃんはすごいなぁ。」
「うん……?」
あんな夢を見た後だからかな、そんな言葉が口をついた。
裏切らない人を信じられるのは、分かる。
裏切った人を信じられるって、その何倍もすごい。
私、なんべん曜ちゃんを裏切ってきたかな。
何度裏切られたって、曜ちゃんは変わらなかった。
私が結果を出さなくたって、ただ私のきらめきを信じてくれた。
それって、すごいな。
たどたどしい言葉で伝えたら、曜ちゃんは言った。
「それって、私が千歌ちゃんを好きな理由と似てるね。」
「え? そうなの?」
「飛び込みでも、なんでも。私が私を信じられない時、私よりも強く私を信じてくれてる人がいる。
私に私を信じさせてくれる人がいる。それってね、何よりも勇気になるんだよ。」
「勇気……。」
「私はね、千歌ちゃんがいてくれるだけでさ。」
ぴっ、とおなじみの敬礼。
傾いてきた日を受けて、淡くぼやけた曜ちゃんが笑った。
「いつだって無敵の気分だったのであります!」
でもこれは私が千歌ちゃんを好きな理由のほんの一部にすぎないんだよって、
曜ちゃんが照れ笑いする。私も体じゅうが痒くって、二人で顔を見合わせてえへえへ笑う。
……ねぇ、いっこ決めたよ曜ちゃん。
あの曜ちゃんの部屋のコルクボードね。
これからの私たちで、埋め尽くしてやることにした!
SDカード私だけではち切れるくらい、いっぱいっぱい私で埋め尽くしちゃう。
それが私を信じ続けてくれた曜ちゃんへの、小さな小さな恩返し。
「ところでさ、千歌ちゃん。クローバーの夢って……ひょっとして昔、このお花畑に来た時の?」
「え。せーかい! あれ、嬉しいな。ひょっとして曜ちゃんも覚えててくれたの?」
「そ、そっか。千歌ちゃんもかぁ……。」
「へっ?」
「……あのね、千歌ちゃん。私ね。懐かしくて、作ったものがあるって言うか……。」
「なに?」
「あ、ダメ!」
なんだろって、曜ちゃんの手を覗き込もうとして。
そしたら曜ちゃんは、自分で言ったくせに真っ赤になってそれを隠してしまって。
だから何を作ったか、もう分かっちゃった。
「ねぇ曜ちゃん。千歌、曜ちゃんが何を作ったか、ピンときた。か~なり自信あるよ!」
「ふ、ふ~ん。ほんとに?」
「ほんとほんと。それが何か当てたらさ……隠してるもの、見せてくれる?」
「……うん。」
包み隠す曜ちゃんの両手を、さらに私の両手で包む。曜ちゃんの手、どき、どき、って鳴ってる。
ハートなんだね。クローバーは、ハートのかたち。
ここに曜ちゃんの、心があるんだね。
それなら見せてほしい。心の中を、私に、ぜんぶ。
「曜ちゃんが作ったものはね。……シロツメクサの、指輪。」
澄んだ水のような綺麗な瞳。まっすぐに見て言ったら、そのみなもがふるりと揺れた。
曜ちゃんは、なんだか今にも泣き出してしまいそうな顔で、笑った。
「あたり。」
ふわりと開いた手の平に、あの日のような指輪がふたつ。
おさない私と曜ちゃんが、無邪気な婚約を交わしたあの時のまま。
……。
胸がくるしいな。
あの日の記憶が、これまでの私たちが、フラッシュバックのように頭をよぎっていく。
私がこの指輪の夢を見ていた時に、曜ちゃんも同じものを見ていたんだね。
私たち、こんなに、おんなじなんだね。
……ねぇ。好きだよ。
好きだよ、曜ちゃん……。
「曜ちゃん、薬指出して……。」
「うん……。」
あの日のように、すっと曜ちゃんの薬指に指輪を通す。
あぁ。なんて顔をするんだろう。
顔じゅうで、体じゅうで、私のこと、好きだよって言ってくれてる。
曜ちゃんのくれるものはLIKEどころか、LOVEって言葉でさえ間に合わないって、もう分かる。
次はブーケをもらった人の番なんだって。
あれは本当だったね……。
「千歌ちゃん……薬指……。」
「ん……。」
曜ちゃん、少し震えてる。いつまでも見つめていたい、いとしい震え。
私の薬指に、指輪が通った。
くすぐったさに、私の背中も震えた。だって、幸せすぎるんだもん。
私も体じゅうで、きみが好きだよ、って言いたくて、たまらないんだよ。
ねぇ曜ちゃん。
三月十七日は、三つ葉のクローバーの日なんだって。
だったら四月十七日は、四つ葉のクローバーの日だったりしないかな?
あの日ここで探してたものを、私はずっと持ってたんだね。
四月十七日。きみがこの世に生まれてきてくれた日。
曜ちゃん。
曜ちゃんが私の、四つ葉のクローバーだったんだね……。
黄色く暮れるか青いままか、まだ決めかねてるたそがれ空は、
美しい浅海のような淡い淡い翡翠色に染まっている。
そよ風に揺れるシロツメクサに、ひらひらモンシロチョウが溶けていく。
私たちはと言えば、指輪の交換を終えた花嫁ふたり。
次にすることは勿論分かっているんだけれど……でもその前につい、聞いちゃったんだ。
曜ちゃんは、どうしてそこまで私を好きでいてくれるの……? って。
だってなんだか、怖くなっちゃったんだもん。
あんまり幸せすぎて。あんまりきみが、好きすぎて。
曜ちゃんは少し考える仕草を見せたあと、困ったようにこう言った。
「……多分こういうのって、どんなに理屈で伝えても、ダメなんじゃないかなぁ。」
えぇ? これは言葉の魔力に目覚めた私からすれば、何をおっしゃる!
って感じだったんだけれど、曜ちゃんの言葉には続きがあった。
「だからね、千歌ちゃん。……私に聞いてみて? 私一回聞かれてみたかったんだ。」
「え? 聞く……って?」
なんだか悪戯な笑顔。
楽しそうに曜ちゃんが教えてくれたものは、ある一つの問いかけで……
問いかけを聞いた瞬間に、もう私は曜ちゃんの答えがわかっていた。
それは私と曜ちゃんの間の、遠い遠い約束の言葉。
一度は辛い言葉になって、でもその呪いさえ乗り越えた、とても大切で尊い言葉。
そう、言葉。
私ときみが知ってる言葉で、一番意味を持っているもの。
「ね、聞いて千歌ちゃん、私にも。これってね。魔法の言葉なんだぞ。」
……唇が震える。
今にもまなじりから、何かが伝い落ちてしまいそうで。
悲しくてじゃない。
理由はうまく言えないけれど、そう。
この子がこんな顔で微笑むから。
口にしたその言葉は、今までのどんな言葉よりもいとおしかった。
「ねぇ曜ちゃん。……私を好きなの……やめる?」
凛と言えたなら良かったけれど。
……頼りなくて、少し震えた。
ねぇ。
きみはきれいになったね。
約束も無くきみを待っていた、小さかった日のわたし。
私が楽しみにしていたそれは、世界で一番きれいになった。
「やめない。」
あの顔で、きみが笑った。
過去の、未来の、この瞬間の、ありとあらゆるいとしさが、ここで交わって一つになった。
私の瞳ももう我慢するのをやめたみたい。
すこしずつきみがちかくなる。
ずっと何よりも好きだったんだ。
この、きみを待つ間。
ふれあうまでのほんの僅かな、あまりにまぶしい待ちぼうけ……。
おしまい
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