텅빈 말 랑데뷰

嘘から始まる二人の話。
不器用すぎて面倒くさい。でも、愛おしい。

>>>>>>>>>
【お知らせ】
そのこねこさん(user/14057587)主催のようりこ合同誌「サクラリウム」に「最後の晩餐」という話を寄稿させていただきました。ようりこの二人がご飯を食べるだけの短いお話ですが、読んでいただけると嬉しいです。2017/11/5の沼ラブ3にて頒布予定とのこと!よろしくお願いいたします。

 

 

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8814956

 

 

嘘を吐くのは得意じゃない。むしろ苦手な方だ。

真ではないことをさも本当であるかのように並べ立て、平然とした顔をしていられるほど私の神経は図太くないし、いつバレるとも知れない嘘をずっと抱えていられるような屈強なハートは持ち合わせていない。
だから今この瞬間、隣を歩く彼女と手を繋いで帰る間も、私の心は穏やかではなかった。

「バス停、着いちゃったね」
「うん……」

学校からの帰り道、彼女が降りるバス停の一つ手前で降りて、一区間分を歩いて帰る。
彼女と「お付き合い」を始めてからというもの、二人で帰る日はそれが定番のコースになっていた。
程よいタイミングでバスが現れ、繋いでいた手をどちらともなく離し、「また明日」と微笑んだ。

「こうした方が"恋人"っぽいじゃない?」
そんな彼女の提案から始めたこの下校デートも、すでに回数は二桁になっていた。
バスに揺られながら先ほどまで彼女の温度を感じていた左手を見つめ、溜息をつく。


『渡辺曜と桜内梨子は付き合っている』


それが今、私を悩ませているたった一つの噓。

空言ランデヴー




話は約一カ月前に遡る。

「おかえり」
「ただいま。ごめんね、先に帰ってくれてよかったのに」

もはやルーチンになりそうな放課後の呼び出しから戻れば、陽の光が射し込む教室には窓際で読書をする梨子ちゃんの姿。千歌ちゃんは家の手伝いがあるからと先に帰ってしまっていたから、彼女にも待たなくていいとは伝えていたのだけど、律義にもこうして待ってくれていたようだ。

「だって曜ちゃん、こういう日はいつも辛そうな顔してるから」

心配で放っとけないよ、と眉を下げて笑う彼女の優しさが、気を遣いすぎて擦り減ってしまった心にずしりと沁みた。
誰かに想いを告げられる度、その気持ちはありがたくはあるけれど、それに応えることはできなくて。できるだけ傷つけないようにと選んだ言葉で相手の子に悲しそうな顔をさせてしまうことが、私の心を余計に擦り減らした。
どれだけ気を遣ったとしても相手の気持ちを受け入れることができないのだから、仕方ないことではあるけど。

「……告白されてさ、断る度に自分の心が擦り減ってる気がするんだ。辛いのは相手の子なのにね」

互いの心が通わない限り、誰にもどうすることのできない問題。人の気持ちっていうのは複雑で、数学みたいに単純に割り切れないから難しい。
好きです、ごめんなさい、分かりました。それで終われるなら、私だって毎回暗い顔で教室に戻ることもないのに。
誰も悪くない、だけど互いが傷つく。恋ってなんでこんなに不条理なんだろう。少女漫画にあるような素敵でキラキラした世界とは程遠い、こんな現実に嫌気だって差してしまう。

「心が擦り減らなくなる方法、教えてあげようか?」
「え?」

不意に降ってきた彼女の言葉に耳がピクリと反応した。そんな方法があるのなら是非とも教えていただきたい。神に乞うように彼女の顔を拝む。

「私と付き合ってることにしたら、もう告白されることなくなるんじゃない?」

普段、冗談を言わない彼女の口から冗談みたいな台詞が飛び出てくる。たっぷりと十秒はその意味を考えただろうか。時差を生じながら「えぇっ!?」と間の抜けた声をあげると、彼女はクスクス笑いながら「冗談よ」と何もなかったように立ち上がり、「帰ろうか」と教室のドアへと向かった。

梨子ちゃんと付き合っていることにすれば、確かに毎日の呼び出しは減るだろう。意中の相手に恋人、しかもそれが美少女となれば、余程の自信がない限り告白する前に怖気づいてしまうのが普通だ。
告白をして直接断られるよりも、告白するよりも先に誰かと付き合っていた、と間接的に遮断される方が、相手の子もダメージが少ないのではないだろうか。そうして相手が自然と諦めてくれれば、互いの痛みも最小限に抑えられるのかもしれない。

これはちょっと、いや、かなり魅力的かも。

傾いた気持ちはそのまま一気に自分が楽になる方へと押し流されて、気付けば「梨子ちゃん、あのさ、」と彼女を引き留めていた。


あの日、不用意な決断をしてしまった自分が言い訳をするのなら、このときは心身ともに疲れ切ってしまっていたせいだと訴えるだろう。日々繰り返される呼び出しと、気持ちに応えられないことへの罪悪感に。







彼女と『嘘の契約』を交わした翌日の昼休み、私はその日も中庭に呼び出しのご指名を受けていた。
各学年一クラスしかないのに、どうしてこうも毎回呼び出されるのか。そのうち全校生徒から呼び出しを受けるのではないかと疑うほど、その頻度は高い。最初のうちはこのことを不思議に思っていたのだけど、どうやら中には他校の知り合いに「手紙を渡してほしい」と頼まれた子も含まれているようで、そりゃ何度も同じ子に呼び出されるわけだなと納得した。
今日もどうやら他校生の依頼を受けた代理人の子からの呼び出しで、相手はもはや顔なじみになっている一年生だった。
「渡辺先輩、毎度すみません。友達からどうしても、って言われちゃって」
申し訳なさそうにしながら「お納めください」と手紙を差し出す彼女に、「いつも大変だね」と労いの言葉をかける。
いつもなら手紙を受け取って、それでは、と解散になるのだけど、今日は伝えておかねばならないことがあった。

「あの、実はね、私、付き合ってる人がいて、今度からこういうのは断ってもらえると助かるんだけど……」

嘘が苦手な自分としては、噛まずによく言えたなと思う。しどろもどろだったのは、嘘を吐くことに幾分でも後ろめたさを感じていたから。
相手の方をちらりと見れば、「え、そうなんですか!?」と目を大きく見開いていた。
「ちなみに、お相手の方って……」
控え目に、だけど興味津々ですと言わんばかりに瞳をキラキラさせながら尋ねられる。
まぁ、その反応が普通だよね。これまでの告白を全て断ってきた人間が、急に「付き合ってる人がいる」などと言うのだ。彼女じゃなくても興味が湧かない訳がない。
「えっと、同じクラスの……桜内さん」
梨子ちゃんからは、相手を尋ねられたときは彼女の名前を出して構わないと言われていた。むしろ、特定の名前を出さないと詮索されて面倒なことになるから積極的に出した方がいいと。そんなこと自分では考えもつかなかったので、彼女は一体どんな修羅場をこれまでくぐり抜けてきたのだろうと、その細やかな戦略に舌を巻いた。

「そうだったんですね……分かりました、次からはそう伝えておきます」
「ありがとう。ごめんね、使いっぱしりみたいなことさせちゃって」
「いえ、全然。あ、でも今度から先輩とこうしてお話することがなくなっちゃうのはちょっと残念です」

はにかみながら「お時間、ありがとうございました」とお辞儀をする彼女の瞳は少し潤んでいるように見えて、これまでお断りしてきた子たちの顔と重なった。
ひょっとしてこの子も。
脳裏を過った女の勘は、彼女が頭を上げると同時に走り去ってしまったので、それが自惚れなのか当たりだったのかは、分からないままだった。

それから一週間が経ち、『渡辺曜は桜内梨子と付き合っている』という噂は小さな学院内にすぐに広まった。
梨子ちゃんの提案により、このことはAqoursのみんなにも秘密にしておくことになったので、噂を聞きつけたメンバーから二人して質問攻めにあったけど、彼女の「真剣なのでそっとしておいてください」の一言で、それ以降は余計な詮索を受けることはなかった。
ただ、千歌ちゃんから「よかったね、おめでと!」と祝福されたときは、後ろめたさで胸がキリキリと痛んだけど。


「噂の効果はどう?」
彼女と手を繋いで歩く海岸沿いの道路は、夕陽に照らされキラキラと光って見えた。まばらに通る車が二人を追い越していく。
「効果抜群。最近、全然呼び出されなくなったよ」
梨子ちゃんと付き合っているという噂が流れて以降、呼び出しの数は格段に減り、彼女と四度目の下校デートをする頃にはゼロに等しくなっていた。たまにあるのは噂が届いていない他校生からの下校時の突撃くらいだ。
「そう。なら良かった」
ふわりと笑う横顔がとても綺麗で、思わず見惚れる。
梨子ちゃんは、優しい。
私のつまらない悩みにも、こうして付き合ってくれているし、どうしてそこまでしてくれるんだろうと不思議なほど丁寧に私の心を掬い上げてくれた。
なんでそんなに優しいの? って訊いてみたら、「友達が困ってるんだから、当然でしょ」って、またふわりと笑う。
彼女の優しさには際限がなくて、こんなに甘やかされると抜け出せなくなってしまうなと、その居心地のよさに私はすっかり溺れてしまっていた。

「ねぇ、曜ちゃん。今度沼津でデートしない?」
「へ? 沼津で?」
「うん。校内は結構おさまったけど、まだ他校の人から声をかけられたりするでしょ? 沼津を二人で歩けば、それも減るかなって」

この話を聞いたとき、正直そこまでする必要があるのかなって思った。確かに告白の回数は完全にゼロになったわけではないけど、前に比べたら無いも同然だったから。ただ、彼女と遊びに行くということについては特に断る理由もなかったので、「じゃあ今度の日曜日に」と日付だけ決めてその日はお別れとなった。
家に向かう彼女の背中は少しご機嫌なように見えたけど、私の見間違いだったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 


約束をした日曜日。窓の外は生憎の曇り空で、久々のお出かけにウキウキしていた私の心まで曇らせた。どうせ遊びに行くなら思い切り晴れていてほしいものだ。
天気予報は降水確率が10%だと言っていたけど、念のため折り畳み傘を鞄に忍ばせ、彼女との待ち合わせ場所に向かった。

沼津駅に着くと、そこにはすでにワインレッドのロングヘアーが見えて、まだ集合時間の十五分前なのにな、とどこまでも真面目な彼女に笑みがこぼれる。

「梨子ちゃん、ごめんね、待った?」
「ううん、今来たところ」

そんなカップルみたいな会話をした後、彼女が観たいと言っていた映画を観るために映画館が併設されたショッピングモールへと向かった。
歩き出して数メートル、左手に触れた温度に驚き彼女を振り向く。
「今日の目的は二人が付き合ってることを見せつけるためだから」
琥珀色の瞳を細めながら微笑まれ、絡めとられた指がきゅっと握られる。自称『地味で控え目』な彼女は今日はやけに積極的で、私の心拍数はぐんぐん上昇していった。


映画は公開から四週目と言うこともあり、お客さんの入りはぼちぼちと言ったところ。満席ではないけどガラガラなわけでもない。隣の人と二つ、三つ席を挟んだ中央の席に二人並んで座った。
月を探索中に事故に巻き込まれた主人公が、空気も水も通信手段も絶たれた危機的状況下で地球に帰還するため懸命に奮闘する、というあらすじのその映画は、サバイバル要素が強かったけれど、愛する人を地球に残してきた主人公が必死に生きようともがく姿には目頭がじわりと熱くなった。

映画館を出た後にランチを食べて、モール内を目的もなくぶらぶらと散策。ウィンドウショッピングをしながら、あのスカートがかわいいとか、今年の流行は、とか、何気ない会話を交わす間も繋がれた手が二人の間をゆらゆら揺れる。最初はぎこちなかった『恋人繋ぎ』もフロアを一周する頃には自然に指が絡むようになり、さも当たり前のように感じる体温が嬉しくなった。偽りの恋人ごっこも彼女とだったら楽しいだなんて、嘘が苦手な自分が思うのだから、彼女と本気で付き合える人はきっとこの上ない幸せを感じられるのだろう。

「あ、これかわいい」
ふと彼女が足を止めた先には、ファンシーな雑貨屋さん。店先にはアクセサリーやポーチ、シュシュなど、女子が好きそうなものがずらりと並ぶ。彼女が「これ」と指したのはリボン型のバッグチャームだった。黒や紺色といったベーシックなカラーから、シルバーやゴールドのような派手なものまで。バリエーションが豊富で選ぶのも楽しそうだ。
「ほんとだね。お揃いで買っちゃう?」
その言葉に特に他意はなかった。かわいいと思ったものを友達とお揃いで持つことなんて日常茶飯事だし、一緒に遊んだ記念に、ぐらいの軽い気持ちでキーホルダーやヘアアクセサリーを買っては家に思い出の品を増やすことは女子高生の習性みたいなものだ。
そんな気持ちで投げた私の言葉に、彼女は「いいの?!」と目を輝かせながら返してきたので、ちょっと面食らう。そんなに喜ぶことだったかな。普段はクールな梨子ちゃんが目を輝かせながら何色にしようかと悩む姿は、いつもとのギャップのせいか、とてもかわいらしく見えた。
あれこれと悩みはしたものの、結局はお互いのイメージカラーに落ち着き、お会計を済ませる。
店員さんから彼女の分もまとめて受け取り、「梨子ちゃんのはこっちだね」と桜色のチャームが入った袋を差し出せば、なぜかそちらではなく、私の袋を奪われた。
「交換しよ」
呆気にとられている私に、彼女は短くそう言った。「そうした方が恋人っぽいから」といつもの理由を付け添えて。
つまり、私が桜色のリボンを鞄につけて、彼女が水色のものをつける。別に、つける分には構わない。どっちもかわいいし。ただ、お互いを示す色を交換するというのは、まるで互いの所有を周囲に見せつけているようでなんだか照れ臭かった。
「嫌、だったかな……」
いつまでも固まっている私を見て、彼女は心配そうに眉を下げた。押しが強いかと思えば、こうして一歩引いてくる。そんな風に見つめられたら「そんなことないよ」以外に答えられるわけもなく……彼女のこういうところはずるいなって思う。
「嫌とかじゃなくて、ちょっと、照れ臭いなって思って」
言ったものの、恥ずかしさで無性に居た堪れなくなり、桜色のチャームを握りしめたまま、彼女の手を取って「他のとこも見よう」と歩き出した。
今、梨子ちゃんはどんな顔してるかな。
半歩後ろのその顔を見ることはできなかったけど、握られた手の熱さから彼女も同じように照れているのではないかと思った。

モール内にある全国チェーンのドーナツ屋さんでお茶をして、新作のドーナツを二人で半分こしながらとりとめのない話を繰り返す。
梨子ちゃんとする会話はなぜだかとても落ち着いて、まるで水中を漂っているようなふわふわとした気分になる。ずっとこの穏やかな流れに身を任せていたくなる。そう思わせる何かを彼女は持っていた。
同い年だと言うのに彼女はとても大人びていて、今まで出会ったことがないタイプの子だった。都会から来た転校生は真面目で近寄りがたいのかと思いきや、たまに突拍子もないことをするお茶目な一面も持っていて(本人は至って真面目なつもりらしいけど)、クラスに馴染むのも早かったと思う。
そんな彼女の放つオーラに触れてみたいと思ったことがあるのは、きっと私だけじゃないはずだ。淡いけれど心が和む優しいオーラは、月の光のようで、いつまでもいつまでも浴びていたくなる。こんな居心地の良さは生まれて初めてだった。

「雨、降りそうだね」
彼女の言葉で窓の外を見ると、数時間前よりも暗さを増した雲が空を覆っていた。特技の体感天気予報によると、この辺り一帯に雨マークが並んでいる。どうやら今日の天気予報は外れらしい。
「そろそろ帰ろうか」
彼女は傘を持っていなさそうだったので、まだ物足りなさはあったものの、早めに切り上げることにした。
ショッピングモールを出て、バス停までの道をゆっくりと歩く。本当はもう少し一緒にいたかった。そんな本音が反映されたスピードで。
のろのろと歩く私の歩調に彼女も何も言わずに合わせてくれたから、彼女も同じ気持ちなのかなと心の中で都合のいい解釈をした。

「あ、降ってきちゃった」
のんびりと歩きすぎたせいか、バス停に着くまで待ってくれなかった雨は小粒からすぐに大粒に変わり、アスファルトをみるみる濃く染めていく。
「梨子ちゃん、入って」
使うことはないだろうと思っていた折り畳み傘を開き、彼女を招き入れた。
「ありがとう。今日は降らないって天気予報で言ってたのに」
「外れちゃったね。傘は善子ちゃんのお陰かな」
外出する度に雨に降られてしまう不運な星の下に生まれた後輩は、どんなに晴れていても折り畳み傘を携えている。私もそんな彼女の影響を受けて、傘を持ち歩くことが多くなった。今日は本当にラッキーだったと思う。梨子ちゃんをずぶ濡れにさせずに済みそうだから。今度善子ちゃんにお礼を言っておこう。

小さな折り畳み傘の中に二人で入れば、肩を寄せ合ってもぎりぎりで、気付かれないようほんの少しだけ彼女がいる右側へ傘を傾けた。
雨が降り出しても二人の歩調は変わることなく、むしろさっきよりも足取りはゆっくりになっていた。早速できている水たまりを踏まないように、そろりそろり。まるで重力のない月面を歩いているみたいだ。今日観た映画を思い出し、「月の上を散歩してるみたいじゃない?」と彼女に問えば、意味を察してくれたのか、「クレーターに落っこちないようにしないとね」と側にあった水たまりを二人でそーっと避けた。

「さっきの映画の中で、宇宙船と宇宙ステーションが接近するシーンがあったでしょ? あれを『ランデヴー』って言うんだって」

彼女の言うそのシーンは、月面に取り残された主人公を救出するために出航した宇宙船が、物資補給のために宇宙ステーションとドッキングする場面だった。別軌道上にいた二つの機体は地球の周りを周回しながら徐々に距離を詰め、地上から400キロ上空で巡り会う。まるで惹かれ合う恋人同士のように。

「ランデヴーには『デート』の意味もあるんだよ。響きがちょっと大人っぽいよね」
「じゃあ、今日私たちがしたのもランデヴーなんだ」
「ふふ、そうだね」

微笑む顔がいつもより近くて。触れる肩から伝わる熱が私の体温を二度上げる。濡れた左肩の冷たさなんて忘れるほどに。

三十八度五分の塊をずるずると引きずりながら彼女との『ランデヴー』を楽しんで、バス停にようやくたどり着いた。丁度のタイミングで滑り込んできたバスに二人で飛び乗る。雨のせいか人が多くて、出口付近の手すりに掴まった。

「梨子ちゃん、濡れてない?」
「私は大丈夫。それより、曜ちゃん左肩びしょ濡れじゃない」
湿り気を帯びたTシャツを指差され、心の中でしまったとつぶやく。
「あ、いや、私、傘差すの下手くそでさ」
そんな言い訳も彼女に通じるわけはなく、不満いっぱいの目でなじられた。あぁ、そんな目で見ないで。
「もう。ちょっと待って」
彼女の小ぶりのバッグから出てきたのは淡い桜色のハンカチ。それを左肩に当てられ服の上からゴシゴシと擦られる。ハンカチはすぐに水を吸って、どんどんその色を濃く染めていった。
「梨子ちゃん、いいから、大丈夫だから!」
綺麗なハンカチをこれ以上汚したくなくて、彼女の手からハンカチを奪おうとするけど、「いいの。私のせいだから」と頑なに断られる。こうなると彼女は譲らない。それを理解するくらいには仲良くなったつもりだった。


「これ以上は無理かな……ごめんね」
「いや、全然。こっちこそごめん。逆に気を遣わせちゃって」

しばらくの間されるがままになっていたら、ハンカチの吸水力も限界を迎えたのか、彼女が諦めるように言った。Tシャツはと言うと、随分水気はなくなったものの、肌に触れると冷たくて気持ち悪い。けど、彼女の手に撫でられた肩は無性に熱くて、残った水分すら蒸発してしまいそうだった。

バスはほどなくして私の家の最寄りのバス停に近づき、ゆっくりと速度を落とし始める。
一日を振り返ればあっという間で。明日になればまた彼女に会えるのに、この別れが名残惜しく感じた。
小指だけで繋がっていた手は、バスが停車すると同時に離れ、寂しくなって空っぽの手をぎゅっと握りしめる。
「曜ちゃん、今日はありがとう。すごく楽しかった」
「うん、私も。また、明日ね」
手を振って別れ、彼女を乗せたバスが見えなくなるまで見送った。

雨が傘の上を跳ねる音を聞きながら、とぼとぼと歩く帰り道。傘は私を濡らすことなく自分の役割を果たしてくれていたけど、さっきまで確かにそこにあった温もりを思い出し、一人ぼっちで歩く寒さに肩を震わす。
楽しかったな、デート。
今日一日、なぜだか積極的な彼女の勢いに辟易してしまったけど、それも自分のためを思ってくれてのことだと思うと嬉しかった。
そして今日の目的を思い出し、気分は急速に沈みこむ。
このデートの趣旨は私と彼女が付き合っているという噂を広げるため。彼女にとっては断じて私との時間を楽しむためではなかった。

分かってるのになぁ。
自分にとって心躍ったこの日の出来事も、彼女からすればただの人助けにすぎない。
そんなことは最初から分かり切っていたけど。
それでも今日、彼女と過ごした時間が『嘘』だなんて、信じたくなかった。





彼女がバスを降りた後、おもむろに開いたバッグの中では、折り畳まれた小さな傘がひっそりと出番を待ち構えていた。
彼女との距離の近さに浮かれて、持っていることを言い出せなかった傘の存在。
こんなところだけ賢しくなってしまった自分に心底呆れる。
曜ちゃん、大丈夫かな。
彼女の濡れた肩を思い出し、自分の欲にまみれた感情を優先させたことを後悔した。
窓ガラスをひっきりなしに叩く雨粒は、まるで嘘を重ねる自分を責めているようで。そこに映る顔はひどく歪んで見えた。

どうか、彼女が風邪をひきませんように。

こんな私の願いを神様が聞き入れてくれるわけはないと思いながらも、そう願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


沼津デートが功を奏したのか、最近は他校生からの突撃もめっきりなくなった。
梨子ちゃんのお陰でお断りの言葉に悩むこともなく、悲しむ顔を見て心を擦り減らすこともなく、心穏やかな日々が続いていた。はずだった。

告白される回数が減り、気持ちに余裕ができて、ふと思い当たった疑問。
この関係は一体いつまで続くのだろう。
もう目的を果たしたのであれば、彼女との関係も解消すべきなのではないだろうか。だって、そうじゃないと、彼女はいつまで経っても私の恋人の振りをしなければならない。本当に好きな人と恋ができない。
彼女は善意で付き合う振りをしてくれているだけなのに。
考えれば考えるほど、天秤はこの関係を終わらせるべき方に傾くのに、頭の中では必死にそうならないための理由を探していた。

このままずっとこうしていたい。

自然と繋がる手を、ふわりとした笑顔を、際限のない優しさを、自分一人に向けてほしい。形だけではなく、心から。
自覚してしまった想いはどんどん膨れ上がって欲張りになる。
だけど。
どうして終わらせないの?
このまま続けて彼女に何のメリットがあるの?
私は彼女に何を返せるの?
どれだけ探しても、空の天秤皿に乗せる理由は自分の身勝手な想い以外見当たらなかった。


「バス停、着いちゃったね」
「うん……」
ぼんやりと思考を巡らせている間に、気付けばいつものバス停まで着いてしまっていた。
数百メートル先に私が乗るバスの姿が見える。
あと三十秒。彼女との時間は刻一刻と減っていく。
何も言えないまま、ぎゅぅっと強く握ってしまった手が、優しく握り返された。

この手を離したくないと思ってしまう。

このまま繋いだ手を引き寄せて、今ある気持ちを伝えてしまいたい。終バスすら見送って、夜の海岸を二人で歩きたい。でも、真面目過ぎる理性がそれを許してはくれなかった。
大きくはない路線バスがゆっくりと私たちの目の前で止まる。薄暗い道路を照らすヘッドライトがやけに眩しくて思わず目を細めると、その瞬間に緩んでしまった手から彼女がそっと離れていった。抜け出した手がいつも通り横に振られる。
「また明日」
力なく右手を振り返して、後ろ髪を引かれながらバスに乗り込んだ。

日が沈み、暗がりを走る車体に揺られながら、先ほどまで彼女の温度を感じていた左手を見つめ、溜息をつく。

『渡辺曜と桜内梨子は付き合っている』

私と彼女の間で交わされた偽りの約束。
嘘が得意ではない自分が貫き通しているたった一つの噓。

もし、この嘘を本当にできたら。

叶わぬ願いは、窓の外に流れる闇に溶けた。







嘘を吐いている後ろめたさと、彼女への止まぬ想いに苛まれて眠れない日が続き、放課後にあった水泳部のミーティングではあまりにもぼんやりとしすぎていて、知らない間に次の大会のメドレーリレーの選手に選ばれていた。Aqoursのイベントと重なっていなくてよかったと胸を撫で下ろす。
今日はこの辺で、という部長の声でミーティングが終わり、そのまま解散となった。

「あれ、渡辺先輩、そのリボンかわいいですね」
「ああ、これ? いいでしょ」
帰り支度をしていると後輩が鞄につけていたチャームを指差した。梨子ちゃんとのお揃いを褒められ、自然と頬が弛む。
「でも、ピンク色って珍しいですね。先輩って水色のイメージ強いから」
「あっ、ひょっとして桜内先輩とお揃いですか?」
別の後輩も加わり、未だに気恥ずかしく感じていたところを突かれて「え、いや、……うん」とどもりながら答えると、キャーッと黄色い悲鳴を上げながら、どっちから告白したのかとか、初デートはどこに行ったのかとか、興奮気味に質問を投げられる。こういうことを想定して事前に梨子ちゃんと答えを擦り合わせていたから大体はその通りに答えていたのだけど、好奇心という魔物に取りつかれた後輩から繰り出された想定外の質問に心拍数が乱れた。

「桜内先輩のどこが一番好きですか?」

彼女の好きなところなんて、数え切れないほどある。

真面目な性格も、
大人びた雰囲気も、
ふわりと微笑む顔も、
微かに香る甘い匂いも、
二人で繋いだ手の温度も、
キラキラ輝く琥珀色の瞳も、
私のために嘘を吐く優しさも。

挙げたらキリがないくらい。どれが一番なんて決められない。

彼女を構成するすべてが好きだ。

「全部、……かな」

月並みな答えになってしまったけど、それが本心だった。彼女の前じゃなければ、こんなに簡単に言えてしまうのに。
私の答えにはしゃぐ後輩たちに「ラブラブですね!」と冷やかされながら部室を後にする。火照った顔はしばらく元に戻らなかった。

後輩からの質問攻めに体力を消耗し、ふらつきながら昇降口に向かうと、そこには見慣れたシルエット。
「お疲れ様」
「あれ、なんで?」
目の前には壁にもたれて人待ち顔をしている梨子ちゃんがいた。今日はミーティングがあるから先に帰ってほしいと彼女には伝えていたので、その姿に小首を傾げる。
待っててくれたのかな。
ほんの少し期待して、浮ついた気持ち。

「……曜ちゃんに話があって」

自分のために彼女が残ってくれていたという事実に気持ちが弾む。パンパンに膨らんだ期待は上昇気流に乗ってふわふわと空に浮き上がりそうだ。

そんな私の希望は次の瞬間パチンッと弾けた。

「あのね、……もう嘘つくのやめたい」
「え?」
「自分から言い出したのにごめんね……二人の噓、今日で終わりにしよう」

唐突に告げられた終わりの言葉に、すっと心が冷えていく。
いつかはこんな日が訪れると分かっていた。ただ、彼女との関係を続けたいと願う邪な想いが、自分から終わらせることを許さなかっただけで。彼女から見放されるまでは、嘘でもいいから恋人でいさせてほしかった。
その日は案外早くやって来てしまったようだ。

「理由、聞いていい……?」

聞かなきゃいいのに、聞かずにはいられなくて。困ったようにハの字になる眉が、伏し目がちになる瞳が、これから宣告される事の重さを物語る。

「……好きな人がいるの。だから、もう続けられない」

ほら、やっぱり聞かなきゃよかった。
自分で引いた引き金は自らの心を抉り、もう二度と立ち上がれないほどの痛みを残す。傷口から静かに流れ出たものはドロドロと身体を伝い落ちて行き、両の手で塞いでも止まらない。全部、流れ出て行く。彼女との思い出も、彼女への想いも。
嘘を吐く前の二人に戻るだけのはずなのに、たった一カ月ちょっとの間に手にしたものは、そう簡単に手放すことができないほど私の心を強く惹き付けていた。犯した罪の代償は思った以上に大きくて、得たものよりも失ったものの方が遥かに大切でかけがえのないものだったと今になって気付く。

「そっか……私も、いつかは終わらせなきゃいけないと思ってたから。私の方こそごめんね。ずっと梨子ちゃんの優しさに甘えちゃってて」

本当に伝えたかった想いは言葉にできないまま、代わりに口から零れ落ちたのは聞き分けの良い台詞。肝心なところでわがままを言えないこの性格が二人の嘘を終わらせる。
好きな人の幸せを願うのが当然だから。これ以上、私が彼女を縛り付けていい理由なんてどこにもないから。
体のいい言い訳を盾にして、本音と向き合うことから逃げた。

「今までありがとう」

ちゃんと笑えていたかな。声は震えていなかったかな。彼女も少しは寂しいと思ってくれていたかな。
堪えていた想いは、「今日は寄るところがあるから」と先に帰った彼女の背中が見えなくなった瞬間から次々に溢れ出して、昇降口の陰にできた涙の海に一人溺れた。



こうして、私たちの偽りの関係は私の心に大きな傷跡だけ残し、あっけなく終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 


『お昼休み、屋上で待っています』

下駄箱にそっと置かれていた紙の指示通り、屋上に足を運んでみれば、待っていたのは見知らぬ一年生。

「桜内先輩って、本当に渡辺先輩と付き合ってるんですか?」

言いにくそうに、苦しそうに、真実を問う彼女に、私はまた嘘を吐いた。
答えを聞いた彼女は悲壮に満ちた瞳で、「私、渡辺先輩のことずっと好きだったんです」と告げた。「噂も、先輩が告白避けのためについた嘘だったらいいな、なんて思ってたんですけど」とも。

「私、先輩に告白します。それで、終わりにします」

黙っていた私に、彼女は震える声でそう宣戦布告をして去って行った。
潔く、勇ましいその背中を見送るだけの自分が、ひどく惨めになる。

私にはそんな勇気などないから。

彼女を助ける振りをして自分の欲を満たした。好きと伝える勇気もないくせに、彼女を欺いて隣にいる権利を手に入れた。

彼女がついた嘘は『桜内梨子と付き合っている』ということ。
私がついた嘘は『渡辺曜を好きではない振りをした』ということ。

そんな小賢しい策略で手にしたその場所はとても居心地がよくて、よすぎて、ずるずると続けてしまった二人の関係。
たとえ偽りだとしても、二人で帰るあの時間だけは間違いなく彼女の恋人でいられた。
あのままずっと、その手を握っていたかった。
日を増すごとに強くなる想いが、この関係を終わらせることを拒んでいた。

でも、あんな本気の想いを目の当たりにしてしまったら。彼女たちだって、彼女に愛されたい、独り占めにしたいという気持ちは同じだ。
誰も傷つけないと思っていた嘘は、彼女に想いを寄せるすべての人に、想いを告げる余地すらなくし、苦しめていた。
自分の浅はかさと卑しさが荒れ狂う波のように押し寄せ、罪の意識を露呈させていく。


私は、ずるい。







「……もう嘘つくのやめたい」

青い瞳に映る自分は、どう見えていたのか。もう知る術もないけれど。

嘘を重ねた私があなたの隣にいる資格なんてないから。

なけなしの勇気は、ここで使い果たすね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


明け方に見た夢は、夕暮れに染まる海岸線を梨子ちゃんと手を繋いで歩く夢だった。一番星を指差して、あの辺で宇宙船がランデヴーしてるよ、なんていつか観た映画の話をしながら。二人分の足跡がぽつりぽつりと残る砂浜は、永遠がそこにあるかのようにどこまでも続いていた。
寄せては返す波の音とか、やわらかな潮風の匂いとか、海面に乱反射した光とか。二人を取り巻くものすべてが優しかった。
こんな緩やかな幸せを、この先もずっと感じていたい。
その願いを共に叶えたい相手の顔は逆光で見えず、気付けばその姿すら見失っていた。
あぁ、もうこの手の中にあなたはいないんだ。

目覚めたとき、そこにはいない温もりを想って少しだけ泣いた。


彼女との嘘を終わりにしてから数日が過ぎ、呼び出しが増えることもなく、平穏な日々が淡々と続いていた。梨子ちゃんも平常運転で、教室や部活で話す分にはいつもと変わりはなかった。変な空気にならなくてよかったと思う反面、彼女にとって私との嘘はそれくらい些細なことだったのかと、余計に私を落ち込ませはしたけど。

『いつも通りの渡辺曜』のお面を被って過ごす中、随分と久しぶりに放課後の呼び出しを受けた。
相手は顔馴染みになっていた一年生。また他校生にお願いされたのかなと、友達思いな彼女に感心しながら中庭へと足を進める。

「久しぶりだね」

ひらひらと手を振りながら一カ月ぶりに顔を合わせた相手は、どこか硬い表情をしていて、いつもの笑顔は見えない。

「今日は、誰かからのお願いじゃなくて、私個人の意思で先輩をお呼びしました」

向き合うなり、そう彼女は前置いた。何かを決意したような瞳に真っ直ぐ射貫かれ、身体が固まる。この感覚すら久しぶりだ。
あぁ、やっぱり彼女も。
いつか覚えた既視感は、どうやら当りだったらしい。

「私、ずっと先輩のことが好きでした。カッコいいのに可愛くて、何でもできて、誰にでも優しくて。先輩みたいになりたいって憧れは、気付いたら好きに変わってました。友達からのお願いも、先輩と話せるのが嬉しくて、率先して引き受けちゃってて。先輩、気付いてましたか? 呼び出し相手が私だったとき、先輩はすごくほっとした顔をするんです。私はそれがすごく嬉しかった。でも、それはただ、直接断らなくて済むからなんですよね。先輩が告白されてるところを何度か見かけたことがあるんですけど、そのときの先輩、相手の子より泣きそうな顔してて。先輩は優しすぎます……でも、そんなところが大好きでした。桜内先輩と付き合ってるって聞いたとき、一度は諦めようと思ったんですけど、ちゃんと気持ちは伝えておきたくて……今日は来ていただいてありがとうございました。聞いてもらえてよかったです」

彼女の口から丁寧に告げられた言葉が、嘘にまみれた私の心の傷口に沁み込んだ。
こんなに想われているのに、私は。自分の身がかわいくて、楽な方へ逃げた。本気の想いとぶつかることを恐れた。
彼女たちはどれほどの勇気を持って、どれだけ悩んで、どれくらい考え抜いて、私に伝えてくれたのだろう。
告白される度に消耗して当然だ。全力の気持ちを受け止めるのだから。
今までは、相手をできるだけ傷つけないようにすることしか考えていなかった。どんなに自分のことを想ってくれているかなんて、考えたこともなかった。
「好きです」の四文字にこんなにも詰まっているのだ。決意が。想いが。愛が。

本気の相手に、私が逃げ腰でどうする。

ちゃんと答えなきゃ。

全力で返さなきゃ。


「ありがとう……そんな風に言ってもらえて、すごく、嬉しい。でも、私は全然優しくなんてないよ。ずっと自分のことしか考えてなかった。相手の気持ちとか、全然考えてあげれてなかった。みんな一生懸命に伝えてくれてるのに、どうやって断ろうってことしか頭になかった。でも、今日ね、大事なことに気付けた。あなたの本気を受け取って、こんなにも想われてるんだなって。それはとても嬉しいことなんだなって。あなたのお陰でやっと分かった」

ぐっと奥歯を噛み締めて我慢していたらしい彼女の目から、ポロリ、ポロリと滴が零れる。頬を伝う涙は顎先から滴って、地面へと吸い込まれていった。
いつもなら、気持ちに応えられないことに、傷つけてしまったことに、「ごめんね」ばかりを繰り返していたのだけど、きっと、彼女たちが欲しかったのはそんな言葉じゃない。

「好きでいてくれてありがとう」

その言葉で堰を切ったように溢れ出した彼女の涙は、止まることなく頬の上を滑り落ちていく。
流れても、流れても、止む気配はなく、それだけの想いが彼女の中にあったのだと土に還る涙の量で思い知った。
あぁ、今気付けてよかったな。もし、このまま彼女たちの想いを見過ごしてしまっていたら、私は知らない間にずっと彼女たちを傷つけてしまっていたのだろう。
これまで告白してくれた子たちの気持ちを考えていたら私まで泣いてしまって、「どうして、先輩が泣くんですか」と嗚咽を漏らす彼女に怒られてしまったけど、「やっぱり先輩は優しすぎるんですよ」と最後は笑顔を見せてくれた。涙で濡れた顔は、とても美しかった。

お互いがようやく泣き止んで、握手を交わした後、「桜内先輩とお幸せに」と微笑む彼女に真実を言いそびれたことだけが心残りだ。







朝から止まない雨のせいで、本日のスクールアイドル部の活動は簡単なミーティングだけで終わった。
「やることあるから、先に帰ってて」
千歌ちゃんと梨子ちゃんにそう言い残して、向かったのは図書室。花丸ちゃんあたりがいるかなと思ったけど、中を覗いてもそこは空っぽだった。
がらんとした部屋の端にある椅子に座り、頬杖をつく。
梨子ちゃんと普通の友達に戻ってから何日が過ぎても、彼女とは相変わらずの関係性で、友達以上でも未満でもなく、付き合う振りをする前と何も変わらなかった。
好きな人とはどうなったのかな。もう、付き合ったりとかしてるのかな。
想像するだけで治りきっていない傷口がズキズキと疼いた。
薄暗い部屋に響く雨音が強さを増していく。頭の中のもやもやした思考もこの雨が流し落としてくれればいいのに。そんなことを考えながら溜息をついた。

「珍しいわね、溜息なんて」

突然かけられた声に驚き、振り返れば、ドアの前に分厚い本を抱えた善子ちゃんが立っていた。
カウンターに本を置きながら「何かあった?」と軽い口調で尋ねられる。彼女なりの優しさなのだろう。

「ううん、なんでもないよ」
固まっていた表情筋を押し上げて、いつも通りの笑みを見せたつもりだった。
「嘘をつくならもう少し上手くやりなさいよね」
「え?」
近づいてきた彼女の両腕がすっと私の方に伸びてきて、頬をむぎゅっとつねられる。
「よひこひゃんっ!? ひょ、いひゃいんだけどっ」
私の苦情なんて気にもせず、彼女は、本当によく伸びるのね、と一人感心した様子で手を離した。何が起きているのか理解できないまま、つねられた両頬をさする。
「ユニット練習のときに、リリーが楽しそうに曜さんのことを話すのよ」
まぁ、マリーがしつこく訊くせいもあるんだけど、と彼女は私の隣に腰を下ろした。
二人でいるときは特に何も追及されることはなかったのだけど、どうやら彼女の方は鞠莉ちゃんからロックオンされていたらしい。
鞠莉ちゃんの巧みな話術により引き出された私の話の中に「ほっぺがよく伸びる」なんてものもあったようだ。だからと言って実際に確かめる必要はなかったと思うのだけど。
そのときは鞠莉ちゃんが「あら、それなら私も知ってるわよ」と梨子ちゃんを煽ったせいで、私に関する情報があることないこと二人の間で殴り合いのように行き交っていたのだとか。ちょっと、やめてよ。
そんな話も最近は梨子ちゃんが頑なに口を閉ざすようになったので、善子ちゃんは何かあったのだろうと察したらしい。

「二人の問題だから口出しはしないけど、あんな元気のないリリーを見ると気になるのよ」
「梨子ちゃん、元気ないの?」
「曜さんの前では隠してるかもしれないけどね。少なくともユニットのときはいつもよりぼんやりしてるわ。マリーのおふざけにも付き合わないくらい」

ギルキスの練習はシャロンと違った意味で騒がしい。私たちが休憩中に新作のコンビニスイーツやドラマの話で盛り上がっている一方で、ギルキスは鞠莉ちゃんの無茶振りに梨子ちゃんが付き合わされ、それに善子ちゃんも巻き込まれる(不運だ)ことが多くて、よく怒声と悲鳴と「シャイ二ー♪」と甲高く笑う声が聞こえてくる。今日もギルキスは楽しそうだねって、千歌ちゃんやルビィちゃんと話していたものだけど、そう言えばここ最近、その声も聞かなくなっていた。
梨子ちゃんの元気がないということは、彼女の好きな相手と何かあったのかもしれない。
ただ、それを確かめる方法を私は持っていなかったし、知りたくもなかった。

「……そっか。どうしたんだろうね」
「どうしたって、貴女達付き合ってるんでしょ? っていうか、そこで何かあったんじゃないの!?」

私の他人事のような返しに切れ味のいいツッコミが入る。あぁ、そうだ、まだ付き合ってることになってたんだった。
もはやみんなに嘘を隠す必要もなくなり、私は善子ちゃんにすべてを話した。私がポツポツと話す間、彼女は黙ったまま、時折頷きながら聞いてくれた。


「曜さん、SNSやってるでしょ?」
「へ? うん、やってるけど」
話の全貌を聞いた彼女が尋ねてきた質問は予想外の方向からで、え、善子ちゃん、話聞いてたよね? と先ほどまでの真剣な顔に疑いの目を向ける。
「フォロワー数、結構多いわよね?」
「まぁ、割と?」
「だったらリリーとのこと、そこで言えばよかったじゃない。一回投稿するだけで拡散されまくって一気に広がったわよ」
目から鱗だった。SNSで拡散。その考えに今の今まで思い至らなかった。善子ちゃん、頭いい。
呆れた目で見てくる後輩を尊敬の眼差しで見つめ返す。
「全然思いつきもしなかったよ。善子ちゃんすごい!」
「リリーだってそれに気付かないはずないわ」
「いや、でも……」
「でも、そうしなかった。わざわざ目撃されるかも分からないデートなんて回りくどいことをした。必要以上に恋人らしいことをしたがった。私たちにまで秘密にした。この意味、いくら鈍感な貴女でも分かるでしょ?」

彼女が取った行動の意味。
分からなくは、ない。分からなくはないけど、理解はできない。
なんで梨子ちゃんが。私なんかを。
あり得ない。
だいたい、彼女には想い人がいると本人が言っていたのだ。善子ちゃんの推理だって当たっているとは限らない。

「いや、だって、梨子ちゃん、好きな人がいるって……」
「罪の意識でも出て来たんじゃない。そういうとこ、真面目だから」
まぁ、嘘の上塗りだけど、と厳しい言葉が続いた。
「リリーってああ見えて不器用なのよ。嘘を吐かないと好きな人と手も繋げないほどに」

そんなの、分かるわけないじゃん。
彼女はいつだってポーカーフェイスだ。だからこそ、たまに見せるあどけない笑顔や照れて染まる頬に目を奪われてしまう。
好きな人と手を繋いで平然としていられるなんて逆に器用だよ。
私はそんなことできなかった。彼女を意識してしまってから、繋ぐ手は汗ばんで、近くで彼女の匂いを感じる度に昇天しそうなくらい心臓が暴れた。理性なんかで制御できないほどに。

「面倒な性格してるわよね、二人とも」

本当に、面倒くさい。
嘘でも吐かなきゃ本音の一つも伝えられないなんて、面倒くさいにもほどがある。
そんな彼女に文句の一つでも言いたいのにさ。
どうにも私の頭は都合よくできているみたいで、彼女のついた嘘の真意を知ってしまえば、萎んだ心はどんどん息を吹き返し、空へと高く舞い上がった。

今、どうしようもなく、彼女に会いたい。

「梨子ちゃんのとこ、行ってくる」

思い立ったらすぐ行動。考えるより先に身体が動いてしまうのは小さい頃からの習慣だ。
「職員室に寄ってから帰るって言ってたから、まだその辺にいるんじゃない?」
ぶっきらぼうだけど優しい声はいつだって背中を押してくれる。「一人だったわよ」と添える良い子すぎる後輩は、誰よりも気遣いが上手かった。
「善子ちゃん、ありがとっ!」
「ヨハネ!!」
いつもの言葉を背に、図書室から飛び出す。雨音は少し弱まったような気がした。

廊下の窓から外を覗けば、桜色の傘が校門の方へ向かっているのが見えた。彼女だ。
階段を駆け下りて、直線をダッシュ。想いは一気に加速して、はやく、はやく、と先を急かす。もつれそうになる足で廊下を力いっぱい蹴りあげて、一秒でも早く彼女の元へ。教室の角をコースアウトしそうな勢いで曲がり、昇降口で傘をひっつかんで雨の中を駆け出した。



「梨子ちゃん!」

校門を出てすぐの下り坂。桜色の傘に呼び掛ける。

「曜ちゃん? どうしたの?」

振り返った彼女は目を丸くして、「濡れちゃうよ」と傘も差さずに突っ立っていた私に自分の傘を差し出してくれた。
一人分の傘の下、二人分の影が重なる。

「私ね、梨子ちゃんに言いたかったことがあって、」

息を切らしながらそう前置いたわりに、いざ彼女を目の前にすると何を言えばいいのか途端に分からなくなる。魔法にかけられたみたいに口が動かなくなる。
この期に及んでヘタレている場合じゃないのに。
何から言おう。何を伝えよう。どんな言葉にしよう。
頭の中はあちこちにいろんな想いが散らばっていて、拾い集めるのに苦労した。

「えっと、付き合ってるって嘘、一緒についてくれてありがとう」

必死にかき集めた言葉でそう伝えると、彼女はきょとんとした後「それを言いに来てくれたの?」と可笑しそうにくすくす笑った。

違う。本当に言いたいのはそうではなくて。
本音はいつだって簡単に出て来てくれない。
固く閉ざされた心のドアをこじ開けるには、計り知れないほどの勇気と覚悟が必要だ。
ヘタレな自分にそんなものがあるのか分からないけど。
でもね、ちゃんと届けたいんだ。自分の気持ちにまで嘘は吐きたくないから。
私に想いを伝えてくれた子たちのように、本気の気持ちを。

「最初はね、告白されることが減ってよかったなぐらいにしか思ってなかったんだ。けど、梨子ちゃんと一緒にいるうちにどんどん楽しくなって、もっとこうしていたいなって、この嘘がずっと続けばいいなって思うようになった。でも、それは私のわがままだから、梨子ちゃんに迷惑かけれないって思う自分もいて、嘘を終わりにしようって言われたとき、本当に言いたかったこと言えなかったんだ。……ごめん、あのとき私、嘘吐いた。本当は終わりになんてしたくなかった。梨子ちゃんと恋人のままでいたかった」

半径60cmの傘の中。その距離30cm未満の二人の間に流れる時間は穏やかで、降り続く雨音ですらゆっくりに聞こえた。

「梨子ちゃん、二人でついてしまったあの嘘を、本当にできないかな?」

今度は、誰に見せつけるためでもなく、二人のために。
『振り』のために繋ぐ手ではなくて、互いが触れたいと思って繋ぐ手がいい。
誰かに見せるためのデートではなくて、誰の目も気にせずに二人のためだけのデートがしたい。

梨子ちゃんは、どうですか。私たちの嘘を、一緒に真実に変えてみませんか。

願いをこめて彼女の顔をじっと見つめる。

「……私もね、曜ちゃんに言いたかったことがあるの」

眉を下げて瞳に涙の薄い膜を張る彼女の気持ちは見えない。
どうか、どうか、この想いよ繋がって。

「ごめんね、私も嘘吐いてた。付き合う振りをすれば告白されないなんてただの口実。本当は私がそうしたかっただけなの。そうすれば、曜ちゃんと嘘でも恋人でいられると思ったから。でも、曜ちゃんに告白する子たちを見て、自分のずるさに気付いたの。……私も、本当は終わらせたくなかったよ。嘘を本当にしたかったよ」

私の濡れた髪からぽたぽたと水が滴り落ちて、彼女の目からはぽろぽろと涙が零れ落ちた。傘を差しているのに濡れてしまう制服も今は気にならなくて。
彼女の次の言葉に全神経を研ぎ澄ます。

「ずっと、ずっと、曜ちゃんが好きでした」

絞り出されたその声に、どうしようもなく嬉しくなる。ずっと欲しかった言葉。嘘ではない、彼女の本音。
涙の伝う頬に手を伸ばして、そのまま彼女を抱き寄せた。
久しぶりに感じる彼女の匂い、体温。震える声も、私の制服を掴む手も。これからは全部、自分のものだと言っていいかな。誰にも分けてなんてあげやしない。私ただ一人の、正真正銘の恋人だと胸を張って言っていいかな。

「それ、嘘だったら針千本どころじゃ済まないよ?」
もう十分過ぎるほど分かっているくせに、あまりの嬉しさでそう問えば、
「だったら、今から証明するわ」

「え?」って聞き返す前に、彼女の口がそれを邪魔した。
嘘を重ねた二人の唇は冷たくて、でも、離れた瞬間に漏れた吐息は溶けそうなほど熱かった。
潤む琥珀色の瞳に心奪われる。私のぜんぶ、持っていかれる。

「信じてくれた?」

論より証拠って言うでしょ? と微笑む彼女の余裕そうな顔がなんだか悔しくて、

「まだ、わかんない」

再び重なった唇は、今度はほんのり温かった。

きっとこれが最後の嘘だ。



Fin.

 

 

 

 

 

 

 

 

'번역대기 > 단편' 카테고리의 다른 글

눈에는 안 보이는 아이러브유  (0) 2020.09.04
달기만 한 사랑이 질린다면  (0) 2020.09.03
네 얘기는 듣기 질렸어  (0) 2020.09.03
비밀  (0) 2020.09.03
보랏빛 하늘에 너를 향해 웃는다  (0) 2020.07.14
  Comments,     Trackbacks